五瀬命

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いつせのみこと


画題

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解説

前賢故実

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彦波瀲武盧茲草葺不合尊の第一子。神武天皇の兄。戊午の年夏、四月、神武天皇が兵を率いて龍田へ赴き、東の胆駒山を乗越えて中洲へ入ろうとするとき、五瀬命を主将に命じた。長髄彦が孔舍衛坂というところで五瀬命を迎え撃ち、戦いの途中に五瀬命の肱脛が流れ矢に当たり、軍が前進できなくなった。時に五瀬命は、矢の瘡の痛みが甚だしくて、剣を撫でながら「大丈夫にして、醜い敵に負傷させられて、報いずして死すとはむなしいことだ」と慷慨する。軍が進んで紀伊国の竃山に着き、五瀬命は軍中に薨去したため、竃山に埋葬された。

(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

彦波瀲武鸕鷀草葺不合〈なぎたけうかやふきあへす〉尊の長子、母は玉依姫、神武天皇の皇兄で、神武天皇と共に高千穂に在り相議して更に大政を拡張せんとし日向を発して東征し海路浪速を経て河内国草香に至り長髄彦の兵と戦ひ、流矢に当りて傷き、これが為め道を転じて紀伊国に向ひ雄水門に至り創甚しく終に竃山に薨じ給ふ。  (国史大辞典) 五月丙寅癸酉、軍、茅停山城水門に至る、時に五瀬命矢の瘡痛みますこと甚し、乃ち撫剣雄詰して曰く慨哉大丈夫にして、被傷於虜手、報いずして死なむやとのたまふ、時の人因りて其の処を号けて雄水門と曰ふ、進みて紀伊国の竃山に到りて五瀬命軍にさり薨〈かみさ〉りましぬ、因りて竃山に葬めまつる。  (日本書紀)

五瀬命の御最期を描いたもの、皇紀二千六百肇国絵巻に長野草風の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)