三番叟

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さんばそう Sanbaso


総合


歌舞伎

舞踊劇。能の「」能狂言の「三番叟」を舞踊化したもの。 能と同様に、歌舞伎や音曲でも儀式的なものとして尊重されているが、三番叟のもつ滑稽味や動きの面白さに重点が置かれ、三番叟中心の舞踊が、非常に多く作られた。猿若勘三郎の「乱曲三番叟」を最初とし「晒三番」「種蒔三番」「子宝三番」「寿式三番叟」「操三番叟」「二人三番叟」などがある。


画題

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解説

(分類:戯曲)

画題辞典

三番叟は、神楽、能楽、演劇は素より、何れの俗樂にも必ず舞台清めの祝に行わるゝ舞曲なり、一に翁渡し又翁舞という。正式のものには翁千歳井に三番叟の三人出で舞ふ。一、翁は白色切腮の面を補り梨子折の万歳烏帽子を戴き狩衣又直垂を著し手に中啓を持つ、神楽にては幣を持つ。一、千歳は神楽にては白尉の面に万歳烏帽子狩衣に扇と鈴を持つ。能及劇にては面なく侍烏帽子に素袍を著し大口に中啓を携ふ。一、神楽、能、及劇場、共に切腮黒尉の面に剣、烏帽子、鶴亀松模様の素袍又は直垂に大口を著け、手に中啓を執り、後鈴を執る。略式のものは翁と千歳となく、三番叟揉みの段より始む、揉出しと称す。式三番、揉出し、共に祝賀の意味あれば亦屡々絵に描かる所なり。 (『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

能楽演劇などで、翁、千歳の舞つた後に出て舞ふ役者、又はその舞の名、能楽では狂言師の役で殊に重んぜられてゐる、まづ翁舞ひ、次に千歳舞ひ、三番目に舞ふ老人ゆゑ三番叟といふ、初め烏帽子をつけ、翁、千歳のあとに随つて来り、右の二役入つて後、剣先烏帽子にかへて『おうさい/\喜びありや/\此所より外へはやらじと思ふ』と謡ひながら走り出でて、笛、太鼓、小鼓の囃子につれて扇を持つて舞ふ、これを揉の段といふ、次に黒色の尉面をつけ扇と鈴とで舞ふ、これを鈴の段といふ、三番叟の舞とは此の二段の総称である、演劇では顔見世及初春の仕始めに太夫元の翁渡し過ぎて後は、興行中毎日席開前に稲荷町の若衆、翁、千歳の舞を預り、三番叟の舞のみを勤めたのが例となつてゐた。 種類極めて多く、河東には式三番、翁、三番叟の二段続き、常磐津には式三番、子宝三番あり、富本には家桜三番叟、清元には四季三葉草、長唄には雛鶴三番叟、剣烏帽子三番叟、呼出三番叟、種蒔三番叟、翁三番、寿三番、志賀山三番、操り三番等がある。 昔から祝賀用としてよく描かれてゐるが、三番叟丈けの研究としては山川秀峰が昭和十二年の個人展覧会に式三番外数種の三番叟を画いたのを挙ぐべきである。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)