万屋助六

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総合

 実説は明らかでないが、元禄年中、大阪の豪商万屋の長男助六が大阪新町の遊女揚巻とふかくなじんで通いつめ、親から勘当を受け、一方、揚巻のほうにも他の客が金を出して田舎へつれ帰る話がおこり、前途を悲観した二人が大阪の千日寺(法善寺の俗称)で心中する事件が起こった。この助六と揚巻の心中事件を題材とした作品としては元禄十三年に竹本義太夫の弟子、内匠(たくみ)理太夫が演じた「大阪千日寺心中物語」がもっとも早いとされ、そのあらすじは、大阪の豪商万屋のむすこ助六は、大阪新町の遊女揚巻におぼれて勘当され、紙子姿におちぶれて遊郭へやってき、ものかげから揚巻の華やかな道中姿を見る。そのあと、揚屋の亭主の情けで揚巻と会うことができたが二人は口論となる。しかし、揚巻にも四国の伊予からきている客が金を出して田舎へつれて帰る話がおこっており、二人は自分たちの前途を悲観して死ぬ覚悟を固め、千日寺で心中をする、というものである。

 「紙子仕立両面鑑」という演目の中では、お松という貞節な妻がありながら、新町の遊女揚巻に入れあげ、放蕩三昧の日々を送っている。揚巻の身請けの金を工面しようとするが、親切を装った悪人らの計略によって贋金使いの汚名を着せられ、進退窮まって揚巻と駆け落ちする。世間知らずの無分別な若者で、親に勘当を受けて紙衣の着物を着せられる典型的な和事の役となっている。

このように男伊達と称される現行の助六とは違った人物像になっていることがわかる。