一茶

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いっさ


画題

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解説

東洋画題綜覧

信濃の俳人、氏は小林、通称弥太郎、俳諧寺と号す、宝暦十三年信州水内郡柏原駅に生れ、幼にして母を失ひ継母の為めに苦しむこと久しく自から嗣となるを避けて早くから風雅の道に身を委ね、初め素丸に学び、後、随斎成美に従つて俳諧を学ぶ、共の俳趣脱俗洒落自ら一機軸を出した、「おらが春」と称する句集あつて世に行はる、性磊落にして王侯貴顕と雖も毫も恐るゝの色がない、加州侯出府の途次、使を馳せて旅宿に召したが、之れに応じないのみならず、御所がござらば当方へ御座れと対へたと云ふ、その性格知るを得ベく、江戸に遊ぶこと十年余、下谷阪本に住し俳諧寺と号した、文化十一年帰国し文政十年十一月十九日歿した。行年六十五、信州柏原の明専寺に葬る、素と畸行あり、白昼と雖も常に灯を点じて莨火に供し、客あつて飯時になれば、倶に酒楼に上り、各々銭を出して飲食した。  (人名辞書)

その代表的句作二三を挙ぐ。

やれ打つな蝿が手をする足をする

罷り出でたるはこの薮の蟇にて候

やせ蛙負けるな一茶こゝにあり

けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ

一茶を画いたものに安田靫彦の作(第六回七絃会出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)