ワキ

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総合

ワキとは

一曲の中での、シテ(して)の相手役の総称で、ワキ方(わきかた)に所属する演者が担当する。いわゆる脇役の一種である。脇役としては、他にツレ(つれ)子方(こかた)トモ(とも)を含む)・ワキツレ(わきつれ)アイ(あい)があるが、全体的に見てワキはその中でも重い役と言うことができる。

たとえば、《敦盛(あつもり)》の蓮生(れんせい・れんしょう)法師・《隅田川(すみだがわ)》の渡し守・《大会(だいえ)》の比叡山(ひえいざん)僧正(そうじょう)がワキの例として挙げられる。「《敦盛》のワキは蓮生法師だ」などと言う。

ワキの演出上の特徴

ワキは、すべて幽霊でない通常の人間の青壮年の男役で、演出上、決して(めん)を掛けない点が特筆される。また、他の脇役とは異なり、例外を除くすべての曲にワキが登場する。

夢幻能におけるワキの役割

典型的な夢幻能(むげんのう)においては、ワキは立ち役(扮装して舞台に立つ役)の中で最初に登場し、終曲まで舞台に残る。神のシテに遭遇する(みかど)の臣下や、幽霊のシテに供養を請われる僧であることが多い。そこでは主に、後に登場するシテの話を聞き出したり、シテが舞うきっかけを作ったりする。その意味でシテの相手役と言うことができる。シテと違ってワキ自身のキャラクタは重視されないが、構造的に見ると、夢幻能の中でシテを中心に舞台を進行させる重要な役割を担っている。夢幻能ではないが、それを形式的にふまえた《隅田川》・《大会》等の作品でも、ワキは同様の(またはそれに近い)役割を担う。

夢幻能およびその派生的な形式の曲は多いので、能のワキの性格を、このような役割として説明されることも多いが、それに必ずしも当てはまるとは言えない曲もある。それは、能の形式や役の性格が長い年月をとおして多層的になっていることに原因する。

前ワキ・後ワキ

夢幻能ほど多くはないが、いわゆる鬼退治物(</rp)おにたいじもの)に属する曲を中心として、いったん登場したワキが途中で退場(中入(</rp)なかいり))し、後に再登場する場合がある。この場合、前に登場するワキを前ワキ(</rp)まえわき)、後に再登場するワキを後ワキ(</rp)のちわき)と言う。

たとえば、《大江山(</rp)おおえやま)》の源頼光(</rp)みなもとのよりみつ)・《土蜘蛛(</rp)つちぐも)》の独武者(</rp)ひとりむしゃ)・《草子洗小町(</rp)そうしあらいこまち)》の大伴黒主(</rp)おおとものくろぬし)がそれに当たる。

鬼退治物(《大江山》《土蜘蛛》等)の場合、ワキは鬼の類を退治する武者で、前後をとおして曲中の同一人物であるが、後ワキはより武装した格好で登場し、鬼の類を退治する。

また、前ワキと後ワキは、ほとんどの場合同一の演者が担当する。

ワキの語源と歴史

「ワキ」には「脇」の漢字を宛てることができ、本来、脇役の意味である。能の大成期には、脇役にワキ・ツレの名称の区別や、シテ方(してかた)・ワキ方の分類はまだなく、脇役を担当する役を「脇の為手(わきのして)」と呼んでいた。当然、後代のようなワキ・ツレの概念も確立していなかったと推測される。たとえば、世阿弥(ぜあみ)自筆の能の脚本には、個々の具体的な役名を記してあるが、「シテ」「ワキ」等の役の名称は書かれていない。当時は、「棟梁(とうりょう)為手(して)(一座を率い、一曲の主役を担当するリーダー的役者)」「脇の為手」という役者の所属に関する概念はあったが、シテ・ワキ等の役の概念は確立していなかったようである。

現在のワキに当たる役は、室町時代には地謡(じうたい)のリーダー(現在の地頭(じがしら))も担当していた。一曲の中で、立ち役とナレーター的な役割を兼ねていたのである。ワキが決して面を掛けないのは、地謡のリーダーを担当していたため、声がよく響く必要があったことと関係するのではないかと推測される。現在伝わる当時の曲すべてに直面(ひためん)の役が登場するのも、その意味からだろう。

したがって当時においても、声がよく響く役者は、自然と現在のツレに当たる役ではなくワキに当たる役を担当することになったはずである。その程度の分業は、当時からあったと考えられる。

室町後期あたりから、能伝書にワキの演出についての記述が見られるようになり、その頃から、現在のシテ方・ワキ方につながる役の分業がますます進んだものと見られる。

江戸時代前期までは、ワキが地謡のリーダーを勤めたため、室町時代中期から、ワキを担当する役者が一般の人々に(うたい)を教えることもよく行われた。江戸時代に入って、シテを担当する役者の権限が強まり、地謡や謡の教授はシテを担当する役者(後のシテ方)に取って代わるようになった。