お国歌舞伎から女歌舞伎へ

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お国かぶきの特徴

出自

ヤヤコ踊から歌舞伎踊へ

  • ⑥『時慶卿記』によれば、慶長五年の六月から八月にかけて出雲(雲州)の女芸能者が京都にある公家の屋敷(宮中の近衛殿)でヤヤコ踊を演じている。
  • ⑧七月朔日の記録によると、クニと菊という二人の女性であったことがわかる。
  • ⑫の⑫記述は同書慶長五年六月の⑥記述と「ヤゝコ跳也」「雲州ノ女楽」という記述が呼応しており、同一の一座だと考えられる。

⇒お国の歌舞伎踊だと推定できる。ヤヤコ踊から歌舞伎踊へと芸態が変化した。

芸態

歌舞伎者

  • 派手な衣装を着て町を闊歩し、時に問題を起こす輩を当時歌舞伎者(⑯『慶長日記』)と呼んだ。
  • 京都では、北野・祇園などの門前町が栄え、茶屋の女が遊女化して客を引いていたが、歌舞伎者の多くが茶屋に通い、茶屋の女と遊興に耽った。
名古屋山三の死
  • 名古屋山三郎は史実の人物で、蒲生氏郷、森忠政に仕える。
  • 慶長八年、美作の院庄で同僚井戸宇右衛門と争って双方ともに斬死する。
  • 京都大徳寺の過去帳に記録がある。
  • 美男で、歌舞伎者としての噂が名高い人物であった。

⇒お国歌舞伎で劇化される。

⇒「踊り」に劇的要素が含まれるようになる。

扮装

  • 刀、脇差しを差し、男装したお国の扮装(⑩『当代記』)はその当時の歌舞伎者の扮装を真似たものである。

劇構成

  • 京都大学図書館蔵『国女歌舞妓絵詞』、松竹大谷図書館蔵『かぶき草紙』の歌謡を集めた草子類、佐々木幸綱校訂『新謡曲百番 歌舞妓』より内容が伝わる。
  • 三味線はまだ使われていなかった。(⑱『東海道名所記』

⇒画証資料(「北野・お国歌舞伎図屏風」、「お国歌舞伎図断簡」)にも描かれていない。

念仏踊
  • 小歌を歌いながら塗笠に紅の腰蓑を纏い、鉦をたたきながら拍子にあわせて躍る(⑱『東海道名所記』)。
  • 念仏踊の声に誘われた名古屋山三の亡霊が舞台へやってきて、お国と問答を交わしともに踊る。(「お国歌舞伎図断簡」、「国女歌舞伎絵詞」)
茶屋あそび
  • 当時の風俗を描写し、男装したお国が茶屋のおかか(男性が女装する)と戯れる様子を即興的なせりふを組み合わせながら、小歌にあわせて踊る。(「お国歌舞伎図断簡」)
風呂上り
  • 松竹大谷図書館蔵『かぶき草紙』にみられる場面。
  • 髪を乱して、額の中央をむすび、白い腰巻の裾をはさみあげ、はなやかな色と模様の羽織を着て踊る。(「お国歌舞伎図屏風」)
  • 官能的な乱舞の様子は後、遊女歌舞伎の典型となった。
猿若
  • 道化役。お国歌舞伎では名古屋山三の下人役として

二人の遊びを取り持つ役で登場する。

その他、場の間に物真似や雄弁術、木遣り音頭などの

一人芸を演じる。(「かぶき草子・茶屋遊び」)

江戸での勧進興行

  • 『当代記』二月二十日条に江戸城で国というかぶき女が勧進興行をしたと記されている。

ふたたび北野へ戻る

  • 『北野社家日記』に「万里小路殿、佐野専斎、其外つれ/\国同道ニて御出仕、当坊ニて振舞出、謡舞有之」とあり、再び北野で興行したことがわかる。


遊女歌舞伎・女歌舞伎の特徴

  • お国歌舞伎の模倣。(⑩『当代記』)。お国一座を自称する集団が複数現れた。
  • 遊女が客寄せのために演じる。
  • 都市、地方の両所に広がり(⑭『慶長見聞録案紙』)、慶長十年代から元和・寛永初年に至る二十五年間に全盛をみせた。
  • 代表的な一座に京都の佐渡島歌舞伎の一座がある。(⑱『東海道名所記』

芸態

  • 内容は徳川黎明会蔵『采女草紙』、天理図書館蔵『おとり』、塩釜神社所蔵『業平踊歌』に伝わる。
  • 新潟県刈羽群女谷の下野・高原田の二村に「綾子舞」として、女歌舞伎の時代の歌詞を用いて踊る民族舞踊がある。
  • 三味線が使われるようになる。(⑰『慶長見聞集』

⇒「京四条河原遊女歌舞伎屏風」「四条河原遊楽図屏風」に描かれる。

女歌舞伎の禁止

  • 寛永六年十月、風紀を乱すとして江戸で女歌舞伎禁止令が出される。一度では効果があがらず、翌年にも同令が発せられ、女性が舞台にあがることが禁じられた。

⇒寛永六年以降女歌舞伎が途絶えたわけではなく、寛永末頃まで続いていた。

  • 京都では、佐渡島一座等が興行し、遊里として繁栄していた六条三筋町の一画が、寛永十八年に朱雀野に移転させられる。周囲に堀をめぐらして外と隔離したから、バタバタと移転する騒動の様子が似ているなど、諸説あるが、寛永14年の島原の乱になぞらえて、「島原」とよばれるようになった。

出典

①『御湯殿上日記』天正九年九月九日条

けん大納言、中山中納言申さたにて、しゝまはせらるゝ。しゝてんにて御らんせらるゝ。
たいの物色/\。御たるまいる。やゝこおとり、むら井よりしゝよりさきにと申て、
おとりふたりに御あふきたふ。しゝには御たちたふ。

②『多門院日記』天正十年五月十八日条

於若宮拝屋、加賀国八才十一才ノ童、ヤゝコをとりと云法楽在之、カゝヲトリトモ云、一段イタヰケニ面白々々、各群衆了

③『言継卿記』天正十六年二月十六日条

出雲国大社神子色々神歌、又小歌等舞之間

④『北野社家日記』天正十九年五月二十日条

やゝ子おとり松梅院へ参おとり申候、百疋被遺候、明日廿五日にくわんしん仕たきとて参候、云々、

⑤『北野社家日記』天正十九年五月二十八日条

今日迄やゝ子おとり仕候、今日者我等ニ詫言仕候間、

⑥『時慶卿記』慶長五年六月二十六日条

近衛殿へ見廻、雲州ノ女楽種々ノ曲を仕

⑦『時慶卿記』慶長五年六月二十九日条

御所ニハ雲州ノ女楽参、ヤゝ子跳

⑧『時慶卿記』慶長五年七月朔日条

近衛殿ニテ晩迄雲州ノヤゝコ跳、一人はクニと云、

菊ト云二人、其外座ノ衆男女十人計在之

⑨『時慶卿記』慶長五年八月朔日条

女楽ノヤゝ子跳少在

⑩『当代記』慶長八年四月条(慶長末年成立)

出雲国神子女(名ハ国、但非好女)出仕、京都へ上ル、

縦バ異風ナル男ノマネヲシテ、刀、脇差、衣装以下殊異相也。

彼男、茶屋ノ女トタワムルゝ躰、有難クシタリ、京ノ上下賞翫スル事不斜、

伏見城ヘモ参上シ度々躍ル、其後学之カフキノ座イクラモ有テ諸国ヱ下ル、

江戸右大将秀忠公ハ不見給、

⑪『御湯殿上日記』慶長八年五月条

女ゐんの御所へ、女御の御かたよりやゝこおとり

御めにかけまいられ候て云々、

⑫『時慶卿記』慶長八年五月条

女院御所へ女御殿御振舞アリ。ヤゝコ跳也

雲州ノ女楽也。貴賎群衆也。

⑬『慶長日件録』慶長八年五月条

於女院、かふきおとり有之。出雲国人云々。

女御之御振舞也。

⑭『慶長見聞録案紙』慶長八年条

今年春より女かぶき諸国にくだる。

⑮『慶長年録

小歌おどりの名人にて、初は三九郎と申鼓打の妻也

⑯『慶長日記』慶長十七年条

大鳥井免兵ヱト申歌舞嬉者捕えらる

⑰『慶長見聞集』(三浦浄心作、慶長十九年頃成立)

さてまた床机に腰をかけ、並ひ居つつも、つれ三味線、歌をあけては

かき返し、今様の一節かや夢の浮世にたゝ狂へ、

とゞろ/\と鳴るいかつちも、君とわれとの中をは裂けじと、

中におしやうの舞ひ遊ぶ

⑱『東海道名所記』(万治年間成立、浅井了意作)

むかし/\京に歌舞妓のはじまりしは、出雲神子に、

おくにといへるもの五条のひがしの橋づめにて、

やゝ子をどりといふ事をいたせり。

其後北野の社の東に、舞台をこしらへ、念仏をどりに、

哥をまじへ、ぬり笠にくれなゐのこしみのをまとひ、

鳧鐘(ふしょう)を首にかけて、笛・つゞみに拍子を合せて、をどりけり。

其時は三味線はなかりき。

かくて三十郎といへる狂げん師を夫にまうけ、

伝介といふものをかたらひて、

三条縄手の東のかた、祇園の町のうしろに舞台をたて、

さま/”\に舞をどる三十郎が狂言、伝介が糸よりとて、

京中にこれにうかされて、見物するほどに、六条の傾城町より、

佐渡嶋といふもの、四条川原に舞台をたて、けいせい数多出して、

舞をどらせけり。

⑲『野槌』(元和七年成立、林羅山作)

近年出雲の巫、京に来て、僧衣を着て鉦を打ち仏号を唱へて、

始は念仏踊といひしに、その後男の装束して、刀を横たへ歌舞す、

俗に歌舞伎と名付く

⑳『鹿苑日録』慶長九年正月条

於北野参詣。抃躍之妓女一覧。

同書慶長十年五月条

定而北野参詣。カブキノ見物具行。

参考文献

  • 伊原敏郎『日本演劇史』(早稲田大学出版部、明治37年)
  • 坪内逍遙『女歌舞伎に関する古画八種について』(『早稲田文学』、大正14年1月号)
  • 原田享一『近世日本演劇の源流』(至文堂、昭和3年)
  • 守随憲治・秋葉芳美『歌舞伎図説』(中文館、昭和5年)
  • 坪内逍遙『歌舞伎画証史話』(東京堂、昭和6年)
  • 高柳光寿『歌舞伎および浄瑠璃の起源』(『日本文学講座・演劇戯曲編』改造社、昭和8年)
  • 森末義彰「かぶき踊りに関する二、三の問題点について」(『思想』昭和10年4月号)
  • 森末義彰「女歌舞伎発展の史的考察」(『思想』昭和11年12月号)
  • 林屋辰三郎『かぶきの成立』(推古書院、昭和24年)
  • 郡司正勝『かぶき-様式と伝承-』(寧楽書房、昭和29年)
  • 林屋辰三郎『歌舞伎以前』(岩波書店、昭和29年)
  • 室木弥太郎「なごや山三郎に関する二三の問題点について」(『国語と国文学』、昭和30年11月号)
  • 室木弥太郎「なごや山三郎に関する二三の問題点について(続)」(『金沢大学教育学部紀要』、昭和32年3月)
  • 郡司正勝『かぶきの発想』(弘文堂、昭和34年)
  • 吉田暎二『歌舞伎絵の研究』(緑園書房、昭和38年)
  • 服部幸雄『歌舞伎成立の研究』(風間書房、昭和43年)
  • 諏訪春雄『歌舞伎開花』(角川書店、昭和45年)
  • 小笠原恭子『かぶきの誕生』(明治書院、昭和47年)
  • 芸能史研究会編『日本庶民文化史料集成 第五巻』(三一書房、昭和48年)
  • 諏訪春雄『歌舞伎の画証的研究』(飛鳥書房、昭和49年)
  • 守屋毅『「かぶき」の時代ー近世初期風俗画の世界』(角川書店、昭和51年)
  • 武田恒夫他『日本屏風絵集成 祭礼・歌舞伎』(講談社、昭和53年)
  • 守屋毅・小林忠『近世風俗図譜 歌舞伎』(小学館、昭和58年)
  • 小笠原恭子『出雲のおくに』(中央公論社、昭和59年)
  • 郡司正勝『郡司正勝刪定集』第2巻(「かぶきの展望」、「遊女芸の系譜」、白水社、平成2年)
  • 室木弥太郎『中世/近世 芸能史の研究』(風間書房、平成4年)
  • 服部幸雄「成立期の歌舞伎」(『岩波講座 歌舞伎・文楽』第2巻(岩波書店、平成9年)
  • 服部幸雄「歌舞伎の誕生」(『芸能史 体系日本叢書21』、山川出版社、平成10年)
  • 郡司正勝『かぶき発生史論集』(岩波書店、平成14年)
  • 服部幸雄『江戸歌舞伎文化論』(平凡社、平成15年)
  • 室木弥太郎『かぶき創生』(風間書房、平成16年)

歌舞伎の歴史

投稿者:Ryoko Matsuba:8pro 2010年4月12日 (火) 20:20 (JST)