演劇書は、通常の板元から出される「劇書」と、芝居興行の度に販売促進の道具として出版される「番付」類、芝居制作時の帳面としての「台本・附帳」類に分かれるが、版本としては劇書・番付類が相当する。帳面類は、基本的に幕外に出ることはなかった。
 「劇書」の代表は劇評としての役者評判記であるが、そこから派生した百科全書的な八文字屋劇書や、脚本を読物化した絵入根本がある。江戸では、寛政後半になり、滑稽本と絵本の合体した形での役者絵本が流行する。その後も、江戸では役者絵本が劇書の中心をなす。
 「番付」類は、辻番付や役割番付などの刷り物、芝居の見せ場を絵面で示した絵本番付やその興行時の名せりふを抄出した鸚鵡石、それと浄瑠璃や長唄など音曲系の詞章を印刷した薄物正本などもこの劇場出版物の範疇に入れるべきだろう。これらは、劇場や関係者と専属契約を結んだ専門板元から出されており、江戸期の通常の出版物とは一線を画す規制外の書物であるが、一興行で万単位の部数にもなるベストセラー出版物でもあった。

071a 戯子名所図会   hay02-0002

@半紙本 3巻3冊 見立本・役者絵本 A22.8×16.0 B曲亭馬琴作 歌川豊国画 C鶴屋喜右衛門D寛政12年(1800) 
E劇界を当時流行の「名所図絵」に見立た作で、初代豊国の絵と馬琴の洒脱な文章とが相まって、爆発的に売れた。あまりの売れ行きに同年中に挿絵部分を色刷にした版も出版されている。役者絵本の企画では先行していたライバル式亭三馬も次年度『俳優三階興』で対抗し、大坂でも翌々年には大坂でも『劇場画史』が生まれ、寛政・享和期の劇書の大流行のきっかけとなった。

071b 増補戯子名所図会     hay02-0003

@半紙本 3巻3冊 見立本・役者絵本 A22.0×15.5 B曲亭馬琴作 歌川豊国画 C華本安治郎 D寛政13年(1800)の後印 
E本書は大流行し、初版の翌年にちょうど上方から江戸に下ってきた<2>嵐雛助の情報を増補として追加し、再板された。初版本、色摺本の伝存数は少ないが、増補版は大本・半紙本さまざまに明治期に至るまで出版されていた。本書は、明治10年頃の大阪での後印本である。

072 画圖俳優三階興    立命館大学図書館西園寺文庫蔵 SB774.28/Sh34

@半紙本 2巻2冊 役者絵本・滑稽本 A21.6×15.3 B式亭三馬作 歌川豊国画 C西宮新六 D寛政13年(1801) 
E前半に役者絵本と後半に戯文を附録として付ける本書の形式は、寛政11年の三馬自身の作『俳優楽室通』で既にこころみている。前年の寛政12年に出版された馬琴の『戯子名所図会』を意識し、日常図や舞台裏を描いているが、絵の構成・順序には秩序がなく、編集上の拙速感は否めない。しかし、『戯房稽古仕組図』や桟敷を廊下側から見た図など、劇場構造の分かる貴重な絵が混在している。

073 役者五雑組        shiBK03-0006

@中本 20巻20冊 劇書 A18.5×13.2 B八文字屋其笑 為永一蝶 八文字屋自笑 他 C八文字屋八左衛門 D安永8年(1779) E百科全書的な特徴を持つ八文字屋版の劇書『古今役者大全』(寛延3年<1750>)『歌舞伎事始』(宝暦12年<1762>)『新刻役者綱目』(明和8年<1771>)『役者全書』(安永3年<1774>)の四点を再編・集成して出版されたもので、巻一の扉・目録の丁が新刻。1・3・8・10・12・13・16巻の7冊のみ。南木文庫と赤木文庫本が報告されているが現在の所在は不明。


小本型鸚鵡石

 元禄期(1688〜)1704から明和頃(1764〜1772)までには、物売りの口上などを言い立てる「せりふ芸」が流行し、「せりふ正本」という呼名で売り出されていた。それが衰退し、狂言の中の名せりふを役者の声色で真似るためのせりふ詞章として売り出されたのが「鸚鵡石」である。安永頃からこの小本の大きさで出版され、嘉永頃まで続くが、地味なだけに伝存数は極端に少ない。今回展示した作品は文政7年上演時の鸚鵡石で、集中的に残っているのは珍しい。その一方で、文政頃から半紙本と版型を大きくした絵表紙鸚鵡石が出現する。天保の改革以降は錦絵表紙が付き、幕末の劇場出版物の花形となっている。

074a 絵本合法衢        shiBK04-0004

@小本 1冊 鸚鵡石 A15.0×10.6 B未詳 C未詳 D文政7年(1824)5月 市村座上演

074b 妹背山婦女庭訓      shiBK04-0006

@小本 1冊 鸚鵡石 A15.1×10.8 B未詳 C未詳 D文政7年(1824)8月 市村座上演

074c 双蝶蝶曲輪日記     shiBK04-0002

@小本 1冊 鸚鵡石 A15.2×10.6 B未詳 C未詳 D文政7年(1824)9月 市村座上演

074d 彦山権現誓助剣      shiBK04-0003

@小本 1冊 鸚鵡石 A15.7×11.0 B未詳 C沢村屋利兵衛 D文政7年(1824)9月 中村座上演

074e 男山恵源氏        shiBK04-0005

@小本 1冊 鸚鵡石 A15.4×11.0 B未詳 C未詳 D文政7年(1824)11月 河原崎座上演

明治期役者評判記

075 劇場真聞          shiBK03-0004

@中本 2編2冊 役者評判記 A17.5×11.8 B未詳 C未詳 D明治3年4月5日(初編)、10日(二編)Eいわゆる八文字屋系列の役者評判記は、明治を待たずに消滅したが、明治初年頃には、さまざまな形で役者評判記復活の気運が見えている。本書は、すでに刊行が始まっていた「新聞」の名を使い新しい劇評を目指したもの。初編・二編の間が五日であり、後の「歌舞伎新報」に匹敵する。ただし、組織化された出版物ではなく、記者も劇界と密接な関係がなかったとみえ、食い足りない内容になっているのは残念である。三編以降は未見であるが、二編までで廃刊になった可能性は高い。

076 古袖町芝居/芸評録   shiBK02-0028

@横本 1冊 役者評判記 A11.4×16.5 B雪華道人 D明治5年(1872)1月 E名古屋古袖町芝居が官許を得て、開場したのを機に上梓された評判記。序に「三都の役者評判記近頃中絶へて」と八文字屋系評判記を意識しているように、黒表紙横本の体裁で、役者目録は正月祝いの見立て、文体や芸評のポイントも旧来を踏襲する。名古屋の地役者として著名な<3>中山喜楽の名も見え、「此方は芸が身にあまり舞台がシヤリンデ厶り升 他の役者がこわがります程の小手きゝ」と絶賛する。

077 俳優芸評          shiBK03-0003

@中本 1冊 役者評判記 A17.2×11.5 B未詳D明治8年(1875)頃 E江戸後期になって生まれた中本役者絵本の系統で、評判だけでなく、役者の似顔絵が入っているのが特徴である。金沢芝居の川上芝居の芸評が含まれており、出版地は評判記では唯一の金沢板である。

上方草双紙型浄瑠璃段物集

078 懐中浄瑠璃/音曲玉揃   shiBK03-0005

@中本 8冊 浄瑠璃段物集 A17.2×11.5 B長谷川貞信画 C綿屋喜兵衛 D万延2年 
E本書は、切付表紙による上方草双紙の形態を備え、幕末の浄瑠璃稽古本の筆耕「和田正兵衛」筆による六行本である。第3編の表紙により刊年が確認できるが、あるいは複数年に亙って出版されていた可能性もある。一冊に3曲から8曲を収録し、目録の後に見開きで錦絵摺りで代表曲の1場面を描く。見返しに「太声円」という声の薬の広告がつくのも楽しい。



四世鶴屋南北の肖像

079 艶本極楽遊          hayE2-0020

@半紙本 3巻3冊 艶本 A22.1×15.3 B女好庵主人[松亭金水]作 C未詳 D天保3年(1832) E上巻題簽には「三津瀬川極楽遊」とある。女好庵主人は人情本作者の松亭金水。本書は、いわゆる「お伝」物の艶本で、最後の場面に<4>鶴屋南北を当て込んだ鶴屋閑木が、お大(お伝)をめぐっての勝見(三津五郎)と多門(菊之丞)の仲裁役として登場する。肖像は、おそらく前年に出版された根本「於染久松色読販」の挿絵から取った物であろうが、二つ目の南北の肖像として貴重。

080 於染久松色読販       hay02-0001

@半紙本 5巻5冊 絵入根本 A22.1×15.5 B<4>鶴屋南北稿 歌川国貞画 花笠文京編 C河内屋太助 D天保2年(1831) E絵入根本は、上方での出版物で、江戸の歌舞伎台本は丸ごと刊行されたことはない。本書は、文京が江戸の台本を上方の書肆に持込んだもので、絵師にも江戸絵の国貞を起用した唯一の江戸狂言の根本となっている。本書のもう一つの価値は、<4>鶴屋南北の肖像が描かれていることで、「極楽遊」も厳密にはここから流用しているとすれば、唯一の似顔肖像となる。