坪内逍遥の豊国研究

 坪内逍遙は、早稲田大学の教壇を去った翌年の大正五年、浮世絵商小林文七のもとにあった大量の役者絵を早稲田大学に購入させた。以降、逍遥は役者絵の研究にも力を注ぎ、雑誌「錦絵」誌上に連載を始めた。それらをまとめた最初の成果が『芝居絵と豊国及び其門下』(大正九年六月刊)である。その本論は、初代・二代・三代の豊国の名跡と、師弟関係についての考察であるが、そのさまざまな疑問の解明のため、この時期の歌川派の芝居絵に現れた種々の現象についてふれることになったのである。
 本書は、後に『逍遥選集』第七巻に丸ごとおさめらるたが、関東大震災により、初版の版木もすべて消失してしまっていたので、挿絵には大幅な入れ替えがある。その後、逍遙は昭和六年にも絵画資料によった歌舞伎研究書『歌舞伎画証史話』を刊行している。
 逍遥の芝居絵収集の目的は、歌舞伎研究資料として利用することにあった。逍遥自身のことばを借りれば、「宝暦、明和以後となると、彩色刷の似顔絵版畫が特に夥しく伝はつてゐるから、それをやゝ科学的に整理さへすれば、それに依つて、少なくとも百数十年間に亙る各種の名演劇の舞台上の実況を−其種々の複雑な舞台の局面を、古来の有名な種々の劇の型を、各時代の諸名優の特殊の姿態、特殊の扮装、特殊の顔面表情を−誇張していへば、原色活動写真式に再現することが出来るのである」。
 それにしても、役者絵は膨大な量が伝存している。おそらくは、演劇博物館所蔵品4万6千枚をもってしても、現存する役者絵作品の半数にも及ばないと思われる。これらを<科学的に整理>し、網羅的に研究資料として有効に活用する基盤を整えることは緊急の課題である。そして、それがあって、ようやくこの分野においても逍遥を乗り越える可能性が生まれるのだろう。

大正14年 錦絵を整理する逍遥
(左は大村弘毅氏)

トップページへ戻る