朱買臣

提供: Open GadaiWiki
2017年10月23日 (月) 20:34時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

しゅばいしん


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

朱買臣は後漢の代の人、字は翁子、嘉興府に人と為る。初め薪を採りて自ら給し、嘗つて學を好んで倦まず、仕を望み、屡々挙に応ぜしも、歳五十に至りて尚ほ挙用せられず、その妻甚だ之を歎く、武帝の時始めて及第し、会稽の守となり、印綬を帯びく郷に入り、大に郷人を驚かす、故に錦袂を会稽山に飜すの語あり。

山城大心院所蔵に小栗宗丹筆王昭君を中とし蘇東坂と朱買臣を左右とせる三幅対あり、京都下村正太郎氏蔵品に明人石鋭の図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

朱買臣は後漢の頃の人、字は翁子、嘉興府に生る、初めは薪を採つて自ら給し、嘗て学を好んで倦まず、年五十に及ぶも、未だ挙げて用ひらるゝに至らず、妻常に之を歎いてゐたが、遂に漢武帝の時に始めて及第し、会稽守に任ぜらる、故に錦の袂を会稽山に翻へすの語がある。  (和漢三才図会)

古来道釈人物画として画かるゝもの少くない、山城大心院には小栗宗丹の筆があり、京都大村氏蔵に明人石鋭の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)