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かげろう ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=蜻蛉&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=蜻蛉 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=蜻蛉 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=蜻蛉 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:蜻蛉 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=蜻蛉 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=蜻蛉 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=蜻蛉 CiNii図書検索] ===解説=== ===画題辞典=== 源氏物語の一巻なり。浮舟、宇治の川にて失せられて後その父母常陸守夫妻の嘆限りなく。「ありと見て手にはとられすみれはまた 行方も知らず消えしかげろふ」と詠まる。残りしふすま、几帳をとりあつめ、むかいの原にて送りして行方もなき煙りとし、弔はせらる、之を蜻蛉の巻という。源氏絵の一として画かる。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|か]] ===東洋画題綜覧=== (一)[[源氏物語]]五十四帖の一、浮舟が宇治で入水しやうと家を出でからは、一家は嘆きの淵に沈んでしまつた、殊に薫の悲嘆は、よその見る目もあはれであつた、此の一巻はかうした歎きと焦燥で終つてゐる、巻の名は結末の左の一節から出てゐる。 あやしかりけることは、さる聖の御あたりに山のふところより出で来たる人々の、かたほなるはなかりけるこそ、このはかなしや、かろ/\しやなど思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしかと、何事につけても、唯かのひとつゆかりをぞ思ひ出で給ひける、あやしうつらありける契どもを、つく/゙\と思ひ続けながめ給ふ夕暮、蜻蛉の物はかなげに飛びちがふを、 ありと見て手にはとられず見ればまた行方もしらず消えし蜻蛉 (二)昆虫の蜻蛉の別名、とんぼ「[[蜻蛉]]」を見よ。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) 蜻蛉は最もよく知られた昆虫で、本邦に棲息するものだけでも百五十種に上るといふ、大別して、とんぼ科、やんま科、川とんぼ科、糸とんぼ科の四となる、その著しい特長はとんぼ科、やんま科の蜻蛉は、物にとまる時翅を水平に開くこと蛾のやうであるが、糸とんぼ、川とんぼの二科は翅を真直に立て、或は極くゆるく開いたり閉ぢたりする、蜻蛉のいま一つの特長は眼で極めてよく発達した複眼であり、二対の翅も此の虫の姿の美しさをあらはしている、名称も多く漢名では蜻虰、負労、諸乗、紗羊、蜻蜒、身の赤い『赤蜻蛉』に対しては、赤衣使者の名もある。 [[花鳥画]]の好画材として蜻蛉の図されたものは枚挙に遑もない。主なものを挙げる。 李迪筆 『瓜虫図』 島津公爵家旧蔵 趙昌筆 『篠虫図』 井上侯爵家旧蔵 同 『竹虫図』 浅野侯爵家蔵 無款 『蜻蛉図』 登内微笑氏蔵 王若水筆 『荳花蜻蛉』 黒田侯爵家蔵 この外探幽の『葵虫図』、椿山の『鶏頭蜻蛉』、近くは菊池契月筆『鉄漿蜻蛉』、横山大観筆『初夏』、伊東深水筆『秋晴』、高木保之助筆『早瀬の波』、等皆蜻蛉の描かれた作である。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|か]] [[category:画題|と]]
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