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うたい Utai


能狂言

現代でも、結婚披露宴の場で《高砂(たかさご)》などの小謡(こうたい)を謡うことがある。これは、能の大成期(のうのたいせいき)からの謡い物(うたいもの)文化の一端である。

装束を着けて舞台で演じる能は、平安・鎌倉時代の記録にも見えているが、謡だけを謡う演じ方は、能を将軍・大名など武士階級の上層部が後援するようになった能の大成期(十四世紀から十五世紀にかけての南北朝・室町初期)に、能役者が将軍・大名などに求められて邸の座敷などで謡うようになったことに始まる。そのような場では、能一曲の謡ではなく、より短い「謡い物」と呼ばれる、謡のための曲が謡われた。

当初の謡い物は、能とは別に作られたものが多い。能の大成期には、季節ごとの祝言の謡など、場に合った縁起物としての謡や、和歌的な言葉を綴った叙情的で美しいメロディを持つ謡、もののいわれや有名な物語を語った叙事的でリズムの面白い曲舞(くせまい)謡など、上層階級の要望に応えるような謡い物が数多く生まれた。そして評判のよい謡い物からは、それを組み入れた一曲の能が作られるようになる。

能が歌舞劇(かぶげき)などと呼ばれるのも、大成期に作られたそのような謡い物が能の本文のまとまった材料になり、前時代より韻文(いんぶん)的な詞章が増えたことが大きく関係している。

また、室町中後期頃からは、特に座の役者ではない一般の人々が、謡い物ばかりでなく能一曲の謡を習って口ずさみ親しむようになり、能一曲の謡本文を書き留めた謡本(うたいぼん)が多く書写された。この謡本は謡い物を書き留めたものよりも数が多いが、それも、能の大成期に謡い物が生まれ、謡文化が形成されていたことが基盤になっている。

出版文化が花開いた江戸時代には、謡い物だけの謡本も数多く刊行された。「曲舞(くせまい)」「小謡(こうたい)」「独吟(どくぎん)」などの言葉が書名に付いている本がそれである。