E2-1 崇徳院説話の展開.

『椿説弓張月』 巻1, 続編巻1

作者:曲亭馬琴、葛飾北斎(画) 判型:半紙本
出版:文化4年(1807)~文化8年(1811)
所蔵:立命館ARC  所蔵番号:hayBK02-0054-01.

【解説】
  上田秋成は『雨月物語』の「白峰」で、崇徳院を題材にし、「近頃の世の乱れは朕がなしている。生きているときから魔道に心を傾け、平治の乱を起こさせ、死後の今なお、朝廷に祟ってやる。見よ、見よ、まもなく天下に大乱が引き起こるであろう」と言わしめている。対峙する西行法師は院に成仏するように訴えたが、崇徳院の恨みの深さを聞いて、「これほど深く魔界の悪縁に結びつかれ、浄土と億万里を隔てておられる以上、もう何も申し上げませぬ」と返すのみであった。
 「白峰」は、『撰集抄』巻之一の「新院御墓白峰之事」を典拠とするが、同じくこれをもとに能の『松山天狗』が成立した。崇徳院を偲んで四国松山の御廟を訪問した西行に老翁が生前の崇徳院の様子を語る。後シテとして登場した院は西行の弔いを喜んで舞うが、次第に逆鱗の姿を現し、眷属の天狗たちが復讐を誓うのである。
 崇徳院は馬琴の壮大な伝奇読本『椿説弓張月』にも登場する。掲出するのはその巻1の口絵で、崇徳院(讃岐)の後ろ姿が描かれ、鏡の面(おもて)に映るのは天狗に変じた崇徳院の顔である。
 源為朝は弓の名手で鎮西八郎の名を持つ。保元の乱で、兄義朝とともに崇徳院側についたが、敗れて大島に流された。しかし付近の島々を征服する。為朝討伐の船が送られたがそれを避け、讃岐に渡り崇徳院の廟を詣でる。再び九州で兵力を貯え平氏討伐のため海路都に向かい、台風によってほとんどの兵力を失うなか、一人、崇徳院の眷属である天狗達に助けられて琉球に漂着するのであった。(大a).

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(続編巻1挿絵)