3.40 直後の書換「仮名手本四十七文字」辻番付

辻番付

浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が初演された次の年、早速、各地で「仮名手本忠臣蔵」が歌舞伎に取り入れられ、多くの劇場が競うように上演した。江戸でも、2月に森田座、それを追いかけて5月に中村・市村座が「忠臣蔵」を出し、三座競演という前代未聞の活況となった。翌寛延三年(1750)には、中村座で「仮名手本忠臣蔵」を書き替えた狂言が早くも出現した。ある事物を忠臣蔵の各段に見立てる「見立忠臣蔵」が成立するためには、庶民の間に忠臣蔵の内容が浸透している必要があるが、書き替え狂言においても、その時点で原作が常識として周知されていなければならない。「忠臣蔵」は初演から二年足らずで、すでに見立てられるべき世界として、その地位を確立していたことがうかがえる。
 なお、本番付は、その時の辻番付であり、現存品は世界で当館所蔵品の一枚のみである。