幸野楳嶺

幸野楳嶺:1844(弘化1年)~1895(明治28年)

 京都の美術工芸界全般にわたって近代化を推進した画家。その活動は京都府画学校(現・京都市立芸術大学)、京都美術協会の設立などに代表される。近世と近代のはざまで、円山・四条派を学んだ楳嶺はその後の作風に多様なものを見せるが、この柔軟な姿勢と探究心こそ、厳格な指導とともに、竹内栖鳳ら次代をになう画家を育てた要因といえよう。第1回より内国絵画共進会の審査官をつとめ、明治26年(1893)には帝室技芸員となった。

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