荒木寛畝

荒木寛畝:天保2年(1821)~大正4(1915) 

 江戸芝に生まれる。幼くして文晁門下の荒木寛快に師事、後に養嗣子となり荒木姓を継いで、幕末には土佐藩絵所預となった。維新後に一時期、油彩画に魅せられて洋画に転じたが、やがて日本画に復帰し、第2回内国絵画共進会で銅章を受け、内国勧業博覧会や各種の万国博覧会で活躍した。画壇では日本美術協会の主軸作家として影響力を発揮し、文展開設後も審査員として旧派の求心的存在となった。

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