歌川広重
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歌川広重(初代):1797−1858
江戸時代後期の浮世絵師。寛政9年生まれ。文化6年定火消同心職をつぐ。8年歌川豊広に入門。幕府の御馬献上の一行にくわわって京都へいった折の写生をもとにかいた天保(てんぽう)4年の「東海道五拾三次」で風景画家としての地位を確立した。安政5年9月6日死去。62歳。江戸出身。姓は安藤。通称は重右衛門,徳兵衛。別号に一遊斎,一幽斎,一立斎。作品に「木曾海道六拾九次」「名所江戸百景」など。広重の名を継いだ門人たち
- 歌川広重【2代】(重宣):1826−1869
幕末の浮世絵師。文政9年生まれ。初代の門人。師の没後その養女と結婚,2代目をつぐ。のち離婚し,号を喜斎立祥とする。横浜で輸出用の茶箱に貼付する版画をかいた。明治2年9月17日死去。44歳。江戸出身。姓は鈴木,のち安藤,森田。通称は鎮平。別号に重宣,一幽斎,一立斎。作品に「赤坂桐畑雨中」「隅田川八景」。
- 歌川広重【3代】(重政):1842−1894
明治時代の浮世絵師。天保(てんぽう)13年生まれ。初代の門人。2代広重と離婚した初代の養女と結婚。2代(実は3代)広重を名のる。横浜絵,東京名勝絵,文明開化絵をおおくかいた。明治27年3月28日死去。53歳。江戸出身。姓は後藤,のち安藤。通称は寅吉。別号に重寅,重政,一立斎。
- 歌川広重【4代】:1849−1925
明治-大正時代の日本画家。嘉永(かえい)2年生まれ。菊池容斎にまなぶ。明治44年4代歌川広重をつぐ。初代の遺品の保存,管理につとめた。大正14年2月4日死去。77歳。本名は菊池貴一郎。
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