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『日本大百科全書(ニッポニカ)』
鎌倉時代の『十訓抄 (じっきんしょう) 』には、人の霊がスズメに化した話がみられる。奥州へ流された藤原実方 (さねかた) は、都へ戻ることを願いながらかの地で死に、その霊は化してスズメとなり、宮中へきて台所の飯をついばんだとある。貝原益軒の『大和 (やまと) 本草附録』などにみえる江戸時代の俗伝では、これをニュウナイスズメの起源説話に結び付け、そのスズメが内裏 (だいり) へ入ったことから入内雀 (にゅうないすずめ) とよぶとあるが、ニュウナイは「新嘗(にいなえ)」と同語で、「新穀を食うスズメ」という意味であろう。スズメは実ったイネなどの穀物を食う害鳥として知られ、日本の案山子 (かかし) (鳥おどし)の大半は、このスズメを追うために仕組まれている。秋田県大仙 (だいせん) 市内小友 (うちおとも) の加茂神社は「スズメの神様」とよばれ、「加茂神社鳥虫除守護符」の立札を田に立て、スズメ除けの祈祷 (きとう) をしてもらうと、どんなにスズメがきてもその田の稲穂だけはついばむことがないという。ルーマニアの北西部地方には、穀物をスズメから守るために、播 (ま) き始めに「これはスズメのため」といって、一握りの種を頭越しに後方へ投げる習慣があった。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
雀は燕雀目の雀属で、本邦に産するものは普通種と入内雀の二種である、入内雀は普通の雀の雌雄全く同色なのに比し、やゝ色彩を異にし雄は眼の周囲の黒点を欠き、咽喉の黒色部少く雌は全く此の黒色の部分が無い、そして白色の眉がある、此の入内雀に就いては、実方中将が罪なくして東北に流され、明暮れ都の空を恋慕ひ遂にその霊が化して雀となり飛んで都に上り内裏の台盤所へ入つて食物を漁つたので此の名がついたといふ伝説が『大和本草』に載せられてゐる。その習性等は洽く知られてゐる処である。雀は花鳥画の中で最も早く画かれたものといふ、従つて古来名画と称せらるゝもの極めて多い。
雀について