鷹について

『日本大百科全書(ニッポニカ)』

 『古今著聞集 (ここんちょもんじゅう) 』に、摂津国(兵庫県・大阪府)で飼われていたタカが、人々を脅かしていた大蛇を退治した話が載っているが、このほかに、遠征の帰途家臣の裏切りで孤島に残された英雄百合若大臣 (ゆりわかだいじん) が、愛鷹 (あいよう) 「緑丸」の助けにより故国への復帰を遂げたという話も有名である。他面、タカに愛児をさらわれたという話もあり、飛騨 (ひだ) (岐阜県)に伝わる手毱唄 (てまりうた) に、「一人もらった男の子、鷹にとられて今日七日――」というのがあり、東京の子守唄にも「泣くとお鷹にとられます、黙ってねんねんねんねんよう」というのがあった。また、タカの鋭い目玉を眼病の霊薬とした所もあった。羽は矢羽として珍重されたせいか、タカが自らの抜け羽を深山の岩の間にしまっておく羽蔵をみつけると、一生楽に暮らせるという話もあった。【最上孝敬】

 鷹狩に用いられたのでなじみ深く、早くから文学作品によくみられ、『万葉集』にも大伴家持 (おおとものやかもち) に鷹を詠んだ二つの長歌がある。平安時代には屏風歌 (びょうぶうた) の画題として秋の「小鷹狩」や冬の「大鷹狩」がしばしば詠まれ、『古今六帖 (こきんろくじょう) 』第二「野」の項目にも、「大鷹」「小鷹」「大鷹狩」「小鷹狩」の題が設けられている。また、「鷂 (はしたか) 」もよく詠まれ、「鷂のとがへる山」という類句にもなっている。『大和物語 (やまとものがたり) 』152段の帝 (みかど) が逃げた鷹を思って「言はで思ふぞ言ふにまされる」と詠んだ話、『蜻蛉日記 (かげろうにっき) 』天禄 (てんろく) 元年(970)6月条の出家を願う母に同調した道綱 (みちつな) が鷹を逃がして決意を示した話などはよく知られる。俳句の季題は「鷹」「鷹狩」が冬、「小鷹」「小鷹狩」が秋。「鷹一つ見付けてうれし伊良古崎 (いらごさき) 」(芭蕉 (ばしょう) )。【小町谷照彦】

『画題事典』斎藤隆三

 鷹を馴養して鳥を捕ふることは我が邦にては古くより行われしことにして天武天皇の時名鷹磐手野守あり、延喜の時白石鷹あり、宮中に特に鷹の曹子の置かれしほどなり、武家時代になりて武技の一として鷹狩の盛に行われて鷹を愛好さる風亦益盛なり、新修鷹経の序に鷹を説いて曰く「夫鷹者俊鳥也、稟瑤光之精氣生鍾岱之増巣驍材自天、雄姿邈世春化為鳩仁也、秋至行戮義也、食不忘先静也、誅不敬強勇也、動無遠物不覧、物有形而尽見智也、成君子之娯楽、助庖饌之宰宍以彼一物兼茲衆美、雖同族於羽毛固殊慧而抜華慶長已」後馴養されて格に繋がるゝ鷹の画かるゝもの多し、自然界の鷹の画亦固より少からず。

 曽我直庵筆(島津公爵所蔵)、同(田岡氏旧蔵)等は馴養の鷹の図にして曽我直庵筆(秋元公爵旧蔵)、狩野山樂筆(大谷伯爵所蔵)、立原杏所筆(菊池謙二郎氏所蔵)等は自然界の鷙鳥としての鷹の図の名高きものあり。

『東洋画題綜覧』金井紫雲

 鷹は鷲と共に鷲鷹科に属す猛禽類で、古来狩猟に使はるゝこと洽く知らるゝ処、その種類も少く無い、先づ蒼鷹最も普通の種類であり、鷂は雄を特にとのりと呼び、雌は雄より著しく大きく、雀鷂は雄を特に悦哉と呼ばれ、この三種最も多く鷹狩に用ひらる、隼は大隼、赤胸隼などの種類があり少しく小形で敏捷、また狩猟に用ひらる、外に角鷹がある、本邦特有の種類にして小さい羽冠を有するので、一見して直ちに他種と区別される、鷹狩には使はれないが、野兎などを捕食する処から、飼ひ馴してその駆除に使用する地方もある、のすり、ちうひ、長元坊などの種類もあり、白鷹は特に珍種として尊重される、鷹の相といふものがある、此鳥総て姿勢端厳で威風堂々たるものあるが、その頭頂は平かにして中高く、眼光清和明星の如く、瞳子動かず、鼻孔大きく、嘴は大きく直く、且つ黒く、潤沢にして肩剛く、翼羽長くして直く、腋羽、覆羽薄く脾長く脛短く肥満し足は踝大きく指長くして大きく爪は黒く潤ひのあるものをよしとする。

 たかは猛き鳥の意で鷙猛と称し、或は高く飛ぶ所から「たか」と呼ぶと称せられ、又、性極めて怜悧なので、賢鳥の名もある、故に絵画は勿論、芸術には交渉極めて深く、英雄独立、振威八荒などの画題となり(其項英雄独立振威八荒参照)或は松の老樹に配せられ、或は架に据ゑたる処を描くなど枚挙に遑もない。

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