漢人漢文手管始

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かんじんかんもんてくだのはじまり


歌舞伎

通称「唐人(とうじん)殺し」。明和元年(1764)、来朝の朝鮮の使者を、通訳の鈴木伝蔵が殺した。唐人の珍らしかったその頃では、この事件はセンセーショナルで、早速劇化されたが、これは明和六年、並木五瓶の作。 唐使の饗応役十木(とき)伝七は、お家横領を企む悪臣のいやがらせに逢う。傾城高尾のとりもちを頼みたい為、通訳典蔵は伝七に親切である。が、高尾と伝七はすでに深い仲、それを知った典蔵は、逆に伝七に意地悪くする。こらえかねた伝七はこれを殺す。 二世市川左団次により復活され、典蔵で公園。二世実川延若もちがった味で好評だった。