馬医絵詞

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 19:44時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

ばいゑことば


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

馬医法薬の秘事を伝へたる絵巻なり、各段概ね馬を繋留せる状を図し、これに僧侶又俗人の対座せるものを添ふ。一巻土佐長隆筆と伝ふれども的確ならす。鎌倉中期のものなり、模本多し。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

馬医法薬の秘事を伝へた画巻、一に『うまいゑことば』又『うまいゑ』ともいふ、各段の一隅に例へば『唵阿旃里帝娑婆呵、医王法薬、丁巳日死、舎人愛染法師、馬名クチム』等の文辞あるほか詞書と認むべきものはない、其各段多くは馬を繋いだ状を図し、これに僧侶又は俗人の対座する状を画いてゐるが、其人物には舎人愛染法師、王良、神農、越後丹介等を図す、一巻本で古来其摸写を伝ふるもの一二に止まらず、住吉家に伝へたのは貞享五年八月の摸本と記してある、今伝へらるゝ原本一巻は東京松本氏(現在神奈川河杉ハツ子氏蔵)の所蔵で巻首に少し欠くる所あるやうである、紙本着色で豎九寸五分全長二丈一尺一寸である、巻末の跋文に『是許伝事不容易、為其器量可令付属信持人雖為一子非其仁者、不可稟承之』とある、而して其結末に『七郎兵衛尉忠泰相伝之、文永四年丁卯正月二十六日甲寅西阿花押』とある、巻の後部には薬師草、法薬草、車前草、本草伝、阿度都崎、草王、衣草、仏前、色々、長小草、狸尻由、天衣草、仏座の十七種の薬草を図す、其画の筆者に就いては土佐長隆の筆と伝へられるが確ならず、『倭錦』には土佐隆兼、馬医之図詞とあるも、これまた年代の合はぬものがあり、其画風はやゝ勁健の風致を帯び、其筆線の運用に於ても自由の趣を忘れぬものの如く、着色また濃厚に失することがない、其構図の如きは精妙とはいへないが、これ一に故実を伝へる用に供さうとしたものであるからであらう、だが巻末の薬草図の如きは、大和絵の作法を以てした草花写生の古い標範として逸することが出来ない、其の画風から見て鎌倉中期のものたるを疑ふことが出来ない。  (日本百科大辞典)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


絵巻物の名、うま「」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)