賢聖障子

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けんしょうのしょうじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

紫宸殿の宸座の後にあつた障子、寛平四年巨勢の金岡これに漢唐の功臣三十二人の像を画いたものであるといふ。

南殿の賢聖の障子は、寛平の御時始めてかゝれけるとなり、その名臣といふは、馬周、房玄齢、杜如晦、魏徴、自東一、諸葛亮、遽伯玉、張良、第五倫、同二、管仲、劉禹、子産、蕭何、同三、伊尹傅説、太公望、仲山甫、同四、李勣、虞世南、杜預、張華、自西四、羊祜、揚雄、陳寔、班固、同三、桓栄、鄭玄、蘇武、倪寛、同二、董仲舒、文翁、賈誼、叔孫通、自西一等なり、この人々の影をかゝれけり、彼の麒麟閣の功臣を、図せられたる跡をおはれけるにや、初は色紙形に、銘をかかれたりけり、されば道風朝臣の申文にも七度けがせるよし載せたり、その銘いつ頃より書かれずなれるにか、当時は見えず、色紙形ばかりぞはべるめる。  (古今著聞集十一)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)