蘇洵

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 18:58時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

そじゅん


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

支那宋代の文豪、字は明允、老泉と号す、東坡の父である、蜀の眉山の人、少くして学を好まず、年二十七、始めて発憤して学をなし、三たび試に応じて中らず、是に於て平常作るところの文数百篇を焼き戸を閉ぢて書を読み、遂に六経百家の説に通ずるに至る。筆を下せば頃刻にして数千言をなし、至和嘉祐の間に二子軾(東坡)轍を携へて京師に至る。時に欧陽修翰林学士として盛名天下を圧してゐた、洵の文章を見てこれを奇としその作る処の文権書、衡論、機策等二十二篇を上る。洵の文出づるや士大夫争ふてこれを伝へ、時の学者競うて洵に傚つて文章を作つた。宰相韓琦其文を見てこれを善とし、朝に奏し召して舎人院に試む、時に会々太常寺建立以来の礼書を編纂することがあり、洵は姚闢と同じく此の編纂に当り太常因革礼一百巻を作つた、書成つて幾くもなくして死す、年五十八時に治平三年であつた。世に称して老蘇といふ。

『芥子園画伝』にその画像を載せてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)