藤原武智麿

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ふみわらむちまろ


画題

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解説

東洋画題綜覧

藤原武智麿は太政大臣不比等の子、和銅霊亀の間に従四位下に進み近江守となつたが、部内の諸寺利を専らにして弊漸く多きを見、これを釐正せんことを奏したが、用ひられて諸国に令し之を革め、養老中従三位に累進し神亀の初には正三位に進み天平元年には大納言兼大宰帥に転じ六年従二位右大臣となつた、九年七月痘瘡を患ふるや、天皇為めに詔を下し天下に大赦して其病を救はせられた、以て如何に寵遇厚かつたかを知ることが出来る、其月正一位を授け左大臣を拝したが即日薨ず、年五十八、曽て栄山寺を創建したので、ここに葬り、太政大臣を追贈された。  (大日本史)

故高橋是清氏の遺品、並に小泉三申氏の遺愛品に武智麿像があり、共に筆者は不明である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)