維盛

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これもり


画題

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解説

画題辞典

維盛、三位中将を以て知らる。平重盛の嫡子にして恣儀甚だ美なり、安元年中従四位下少将たり、後白河法皇五十御賀に際し、青海波を舞うて観者に艶賞せらる、之より桜梅の少将と呼ばる。源頼朝の兵を東国に挙ぐる時、追討使となりて富士河に抵り、夜水鳥の驚鳴を聞き敵兵の襲来と誤り、匆皇逃げて京都に帰りしは有名なることなり。寿永二年木曽義仲を北国に討ちて復敗れ、平家一門の安徳天皇を奉じて西海に走る時、共に都を落つ、その末路明かならず。平家物語記する所に拠れば、維盛屋島にありながら心は都に通いて、北の方、稚き人のこと忘るゝ隙なく、遂に屋島を逃れ出で、紀州に渡り高野山に登りて往生院に瀧口入道の在りけるを便り、茲に髻剪りて剃髪し、更に瀧口入道をも具し、山伏行者の様に出で立ち、父重盛の信仰厚かりし熊野に至りて権現に詣で、三つの御山の参詣事故なく遂げし後、王子の前より一葉の舟に竿さして大海に浮び、寿永三年三月二十八日二十七歳を一期として那智の沖に入水せりとなり。その感傷的の一生は詩に歌われ又絵に描かるゝ多し、

第五回院展には前田青邨が維盛熊野之巻あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

たいらのこれもり「平維盛」を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)