潙山踢瓶

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いさんとうへい


画題

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解説

画題辞典

潙山霊祐、潙仰宗の開祖なり、初め百丈懐海和尚の会下に居り典座たり、会々司馬頭陀湖南より来り、百丈に会し謂つて曰く、頃日湖南に一山を尋ね得たり大潙と名づく。是れ一万二千五百人の善智識の居るべき所なり。百丈曰く老僧住し得るや否や、陀曰く和尚の居にあらず。和尚は是れ骨人なり、彼は是れ肉山なり、居るとも徒千人に盈たず、丈曰く吾が衆中住し得る人ありや、陀曰く請う之を歴観せんと、時に華林覚第一座たり、丈侍者を以て請し至らしむ陀見て曰く不可なり、次に霊祐を喚ばしむ、陀一見して曰く此れ正に潙山の主なりと、是夜、丈、師を召し入室して嘱して曰く、吾が化縁此に在り、潙山の勝境汝当に居りて吾が宗を継続し、広く後学を度すべしと、而るに華林之を聞きて曰く、某甲泰なり上首に居す、典座何ぞ住持するを得ん、丈曰く若し能く衆に対し一語を下し得て出格ならば当に住持を与ふベしと、即ち浄瓶を指し問うて曰く、喚て浄瓶となすことを得ずんに,汝喚て什麽となす、林曰く、木揬となすべからざるなり、丈即ち霊祐に問う、師浄瓶を踢倒し出て去る、丈笑つて曰く第一座山子に輸却せりと、師即ち潙山に赴く、之を浄瓶踢倒という。然るに到りて後潙山峭絶にして人煙なく、猿猱を友とし。椽粟を以て食に充つるのみ、五七年を経て絶えて来るものなし、師日く吾れ住持となり人に利益せんとするも已に往還絶す。自ら善くするも何か済はん、即ち庵を棄てゝ他に住まんとす。下りて山口に至るに、蛇虎狼豹路に在り、師曰く汝等吾が行路を欄ること勿れ、吾れ此山に縁あらば汝等散去せよ、吾れ縁なくんば汝等動くを要せずと、言終るや諸獣四散す、師庵に回る、已にして来るもの五百人に及び、禅宇を営み同慶寺という。尚、潙山禅師のことは其条下を見るべし。

潙山踢瓶の図は古く啓書記の作あり、

続いて狩野元信画く所、東京帝室博物館及山城龍安寺にあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)