江口君

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えぐちのきみ


画題

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解説

画題辞典

一。江口は山城国にあり、神崎川の尼崎に落つる河口にして、西国に通ふ船路に当る。平安朝より鎌倉時代にかけて狭斜の巷として名あり、遊女多し、この遊女を江口君という。西行法師曽つて天王寺に詣て、此地を過ぎて雨に含ひ、一夜の宿りを求めんとせしも宿主遊女共に許さず、是に於て西行左の和歌あり。「世の中をいとふまてこそかたからめ かりのやとりを惜む君かな」遊女之に対して返歌ありという。二。書写山の性空上人、かつて生身の普賢菩陸を目のあたり見んことを祈請す、然るに或夜転経に疲れて暫時まどろみしに、夢に生身の普賢菩産を見んとせば神崎の遊女の長者を見よとありて覚めたり、仍りて神崎に至り、遊女江口の君に会う。遊宴乱舞あり、君、鼓を打って乱拍子の次第を取る。その時、上人その女を信仰恭拝して凝視すれば、即ち今の遊女はさながらに普賢菩薩の形を現し、六牙の白象に乗り、眉間に光明さえ放ちて道俗貴賎を照らしたり上人感涙に堪えず、瞑目して更に眼を開けば、かの君もとの如く女人の姿となり歌詞をうたう。再び眼を閉づれば、再び菩陸の形となる。上人敬礼して帰らんとす、君座を立ち、この事ゆめ口外する勿れといい、忽ちにして死せりとぞ、是れ江口君の故事にして十訓抄に見えたる所なり。今同地に普賢院あり、普賢菩薩を安置す。性空上人に対し遊女の象に乗れる姿を画けるは即ち「江口」にして各家の筆多し。

円山応挙筆(岩崎男爵所蔵)、呉春筆(紀伊浜口氏所蔵)、勝川春章筆など知られしものなり。現代にては下村観山の図する所数本あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)