慈覚大師

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じかくだいし


画題

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解説

東洋画題綜覧

慈覚大師、名は円仁、俗姓は壬生氏、下野の人、年十五にして伝教大師の門に入り、深くその愛撫を受け天台の奥旨を究めた、伝教の入寂後、その師の本願により常坐三昧堂を創し一行三昧を行し六年の後出でゝ化導に従ふ、承和二年選まれて入唐求法することゝなつたが、順風を得ずして太宰府に止まること二年、承和五年七月二日、漸く楊州海陵県に着した、爾後、唐に在ること前後十年、承和十四年九月をもつて越州より太宰府に還るを得た、帰朝の後、叡山を以て本命道場とし、また文殊楼院、法華三昧院、常行三昧院等を建てて伝教の遺業を継いだ、叡山の基礎ここに至つて鞏固なるを得た、仁寿四年延暦寺の座主となる、座主の公称ここに始まる、治山十年、貞観六年二月十六日入寂、寿七十一、淳和天皇天長八年相応和尚の奏に依り慈覚大師の号を賜はつた。  (仏教辞林)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)