嵆康

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けいこう


画題

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解説

東洋画題綜覧

竹林七賢の一人、支那晋の人、字は叔夜、其先は上虞の人、姓を奚と称した、怨を避けて譙に徙り嵆山に居たので氏とし、老荘を好み、性を養ふを尚び養生篇を著はす、又琴を善くし、鍜を好む、或る時、嵆康、夏月柳樹の下に於て鍜を為す、時に鐘会来る、康鍜すること故の如く一言を交へず、会これを含んで他事を以て武帝に讒したので遂に害せらる、その刑に臨み神色自若として琴を弾じ陵広散の曲を奏した、曲終つて曰く、袁孝尼嘗て此の散を学ばんと請はれたが、吾れ蘄んで与へなかつた、陵広散の曲、いまこゝに絶ゆと、大学生三千人上書して師となさん事を請ふたが聴かれず、後、武帝大に悔いたが及ばなかつた、嵆康、また書を善くし、其草書は殊に妙にして一家の風を為した。

竹林七賢の一人としてよく画に描かれる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)