宇治の橋姫

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うじのはしひめ


(別表記)宇治橋姫


画題

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解説

(分類:物語)

画題辞典

山城宇治橋の畔に姫大明神というがあり、是れ即ち橋姫にして、昔この橋姫の許へ、宇治橋の北なる離宮の神というが、夜毎に通い玉うという伝説あり、暁方に宇治川に小波の立つ音するは之れが為めなりとなり。又一説に、昔、嵯峨天皇の時に、或女嫉妬の為めに夫に棄てられしを、余りなるねたさに、それより百夜がほど、宇治川の川辺にいたり、髪ふり乱だし、吾れ鬼神となりて新婦を取らんといいて、遂に鬼になるという。是れ姫明神の起源なり、その他諸説あり、源氏物語の橋姫に就きては橋姫の条を見るべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

山城の宇治に遺る伝説で二三種ある、宇治橋姫といふのは、宇治橋の下に在す姫大明神の事で、その許へ橋の北に在る離宮といふ神が夜毎に通ふので、暁毎に波の音が高くなるといふ説、その二は、二人の妻ある男が七磯の和布を取りにゆき、竜神に召されて失せたので二人の妻が訪ねてゆくと、

さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫

と詠じて消え失せた、此の歌、『古今集』の十四巻に載せられてゐる。その三は嵯峨天皇の御宇、夫に捨てられた女が、百夜の間川水に髪をひたして鬼となり、夫の新妻を呪つて遂にこれを取殺す、土地の人これを祀つて橋守明神といふ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)