女郎花

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おみなえし


画題

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解説

東洋画題綜覧

(一)秋の七草の一、漢名、敗醤、沢敗、鹿腸など、をみなへし科の多年草で、茎の高さ三四尺に達し、葉は対生で、羽状に分裂し、花は細かく小さく黄色で多く集つて咲く、漢名の敗醤といふのは、腐敗した醤油のやうな匂がするからといふ。これに似て花の白色なのを『おとこえし』(男郎花)と呼ぶ。

手に取れば袖さく匂女郎花この白露に散らまく惜しも

秋の田の穂向き見がてり我兄子がふさ手折りける女郎花かも

吾が郷に今咲く花のをみなへし堪へぬ情になほ恋ひにけり   (万葉集)

女郎花は秋の草として有名で七草の一つとして古来画かるゝもの極めて多く、殊に四条円山琳派の人々に作品が多い。

(二)謡曲の名、亀阿弥の作で恋の遺恨で身を投げた女の塚から、女郎花の生ひ出でた物語を作つたもの、出処は『藻塩草』に平城天皇の御時、小野頼風と云ふ人、男山に住みけり、京の女と契りし後、彼女八幡へ尋ね行きて頼風が事を問ふ、家なるもの答へて曰く此程はじめたる女房ましますが其所へ行き給ふ、此女うらめしく思ひて八幡の川の端に山吹重ねの衣ぬぎすて身を投げ死せり、其衣朽ちて女郎花生ひ出てたるなり。

とあるのから取り、九州松浦潟の僧が男山の麓に来て女郎花を愛で一枝折らうとすると翁が現はれ古歌を引いてとめ、やがて八幡宮に詣で後、僧は男山の女郎花の由来を問ふと、翁は男塚女塚へ案内し小野頼風と京の女の墓と教へて消える、僧は翁の頼風が亡霊であつたことを知り懇ろに読経する、頼風と女が現はれて、後世の弔ひを頼むといふ節、前シテが老翁、後シテ小野頼風、ツレが同妻、ワキが僧である、一節を引く

「妾は都に住みし者、彼頼風に契りを籠めしに「少し契りのさはりある、人間をまことと思ひけるが、「女心のはかなさは、都を独りあくがれ出でゝ、猶も恨みの思ひ深き、放生川に身を投ぐる、「頼風是を聞きつけて、驚きさわぎ行き見れば、あへなき死骸ばかりなり、「泣く/\死骸を取り上げて、此山本の土中にこめしに、「其墳より女郎花一本生ひ出でたり、頼風心に思ふやう、扨は我妻の女郎花になりけるよと、猶花色もなつかしく、草の袂も我が袖も、落触れそめて立ち寄れば、此花恨みたる気色にて、夫の寄れば靡き退き、又立ち退けば故の如し、「ここによつて貫之も男山の昔を思ひて、女郎花の一時を、くねると書きし水茎の跡の世までもなつかしや。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)