増上寺

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ぞうじょうじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

浄土宗の大本山、関東十八檀林の一で、三縁山広度院と号し東京芝公園にある、徳川氏の菩提所として聞えてゐる、旧名は光明寺、開山は空海の弟子宗叡でもとは真宗であつた、其の旧地は今の麹町辺で南北朝の際西誉聖聡住持であつたが至徳二年二月、了誉聖冏の教を聞き浄土宗に帰依し明徳四年十二月堂を改造し今は聖聡を開山とする、十二世源誉存応に至り、天正十八年八月徳川家康江戸入城に際し此寺を以て菩提所と定めた、慶長三年麹町から今の地に移り、寛永九年二月二代将軍秀忠薨じ此寺に葬る、後数代の将軍其家族を葬り徳川家の菩提所として上野の東叡山寛永寺と共に隆盛を極めた、今の本堂は明治四十二年四月一日護国殿と共に焼失し後再建したものである。本尊は恵心僧都作阿弥陀如来坐像で山門は慶長十年造立寛永元年改造数次の火災に免がれて現存してゐる、徳川氏の廟は本堂山門の南にあつて荘麗を極め、なほ境内には円山、観音山、地蔵山があり、本堂の西には弁天池があり風趣に富む。

増上寺は江戸名所として江戸時代より名高いので従つて浮世絵などに現はれたもの多く、広重の江都名所の中『芝増上寺』は最も聞えて居り、現代の画家の手になつたものも少くない。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)