吉原

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よしわら


画題

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解説

⇒「吉原(東海道)」をみよ。

東洋画題綜覧

江戸時代からの遊廓、浅草日本堤の内、田圃の間に開かれた一廓で、娼館妓楼を置くが故に特に僻地を択んで市巷と隔離したのである、初め日本橋の東にあつて吉原と称へたが、明暦二年此に移し、新吉原と云ふ、然も世俗旧により吉原と呼び、或は仲を呼ぶ、一郭の内仲之町を以て眼目とするからである、日本堤より降る小坂を衣紋坂といひ、五十間茶屋町の表口とし大門を設け江戸町一丁目二丁目(旧伏見町を合す)揚屋町、角町、京町一丁目二丁目の六坊に区分す。  (日本地名辞書)

満蹊桃李花如海、一隊金釵人似仙、柳茎舞風容妯嫋、華街逗月影嬋妍、三千紅袖長春国、十二銀台不夜天、錦帳彩雲猶未滅、五更斎沸玉箏絃。  亀田鵬斎

吉原は江戸名所として画かるゝもの極めて多く殊に一立斎広重に作数多あり、葛飾北斎にも『吉原廓内図』の大作がある。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)