丹墀門成

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 19:15時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

たじひの かどなり


画題

画像(Open)


解説

前賢故実

sakBK01-0080-06_21.jpg

大同初年、少判事、大和大掾を歴任。天長三年、從五位下を授けられ、丹波介に任命された。その地は、粗野で教化に逆らう風俗があり、昔から治めにくいところとして知られていた。門成は厳しい政治を実施し、執政する広間の前にたくさんの笞杖が積まれていたという。数年後、門成の管轄下は大きく改善された。承和中に弾正少弼になり、のち刑部太輔を経て武蔵守を務めることになった。所轄するところが広くて、盗賊も出没していた。赴任してまもなく悪い風俗を一掃し、悪人が牽制されておとなしくなった。その後、大和守を務めていたときは、豪族に対しても避けることなく、厳しく対処していた。地域の安泰を守った門成は、民衆に推戴されていた。仁寿三年に正五位下を叙せられ、在官中に亡くなった。門成は学識のある人ではないが、政事に長けていたので、至処でいい評判が立ち、当時の人々に称えられていた。

(『前賢故実』)