中峰禅師

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ちゅうほうぜんし


画題

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解説

画題辞典

中峰禅師、諱は明本、杭州錢塘の人にして、南宋景定四年に生る、少にして死関に高峯原妙に謁し、流泉を見て大悟す、その後定居なく、或は船中に起臥し、或は庵室に住し榜するに幻住を以てす、元の仁宗皇帝、金襴袈裟及仏慈円照廣慧禅師の号を賜はる、英宗帝亦続いて深く之に帰依す、英宗の至治三年八月十四日、六十一歳を以て寂す、智覺国師、普覺国師の勅謚号あり、遺偈に曰く「我有二一句分付大衆、更問如何、無本可拠」、

京都妙智院に元画の画像あり、本降寺亦一幅を蔵す。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那の高僧、杭州銭塘の人、諱は明本、南宋の景定四年を以て生る、少にして高峰原妙に謁し、流泉を見て大悟し、それより定住の処なく、或は船中に起臥し、或は庵室に籠り榜するに幻住を以てした、元の仁宗皇席、金襴の袈裟及仏慈円照広慧禅師の号を賜ふ、英宗帝亦続いて深く之に帰依した、英宗の至治三年八月十四日、六十一歳を以て入寂す、智覚国師、晋覚国師の勅諡あり、遺偈に曰く、『我有一句、分付大衆、更問如何、無本可拠』と、禅師書をよくし、その墨跡は最も珍重さる。

京都の妙智院と本隆寺にその画像を蔵す。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)