三光国師

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さんこうこくし


画題

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解説

画題辞典

三光国師、名は覚明、孤峯と号す、含津の人、七歳父を喪ひ、十七歳出家し、叡山に挙ぶこと八年、更に法燈国師に参し、応長元年元に渡り、天目山の中峰国師に参す、帰りて出雲に雲樹寺を創す。元弘の乱、後醍醐天皇の伯耆行在所に幸せらるゝや、之に戒を授け奉る、後村上天皇の勅により、和泉大雄寺開山となる、康安元年五月寂す。

出雲雲樹寺甲斐向嶽寺に画像各一幀あり、共に国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

三光国師、名は覚明、孤峰と号し、後醍醐天皇特に国済国師の号を賜ひ、後村上天皇又三光国師の号を賜ふ、陸奥の会津の人、七歳にして父を喪ひ、十七歳にして落髪し、叡山に登つて受具し台教を学ぶこと八年、更に法灯国師に鷲峰に参し又、了然、明高峰、日南、浦明の諸老に参謁す、応長元年元に渡り中峰本に天目に参す、帰朝して出雲国宇賀荘に雲樹寺を創立した、元弘の初、後醍醐天皇伯耆に狩し給うた時、詔して行在に召し戒法を受け給ふ、貞和元年鷲峰に居り其の荒廃を修す、又洛西の妙光に住す、足利尊氏弟直義伽藍を建てゝ招請したが応ぜずして、夜窃に遁れ去る、後村上天皇、勅して和泉の高石に大雄寺を建て、開山第一世とした、開堂の日には聖駕親しく臨御せられたといふ、康安元年五月二十四日、九十一を以て遷化した。  (本朝高僧伝)

出雲の雲樹寺、甲斐の向嶽寺にはその画像があり共に国宝である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)