トーク:ArcUP4675

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総合

「東海道五十三次 江尻 男之助」「東海道五十三次 府中 仁木弾正」

ArcUP4675.jpg

画題:「東海道五十三次 江尻 男之助」「東海道五十三次 府中 仁木弾正」


絵師:三代目豊国

版型:大判/錦絵

落款印章: 豊国画(年玉枠)

版元名:

改印: 巳正改

配役:男之助・・・初代河原崎権十郎、仁木弾正・・・七代目市川高麗蔵

上演年月日:安政4年(1857)1月

上演場所:江戸(見立か?)



題材

仙台伊達家お家騒動に材を得ているが、実説を避けて時代を東山の世界に設定する。奥殿と床下が古典の名場面といえる。

出典:藤田洋 編 『歌舞伎ハンドブック』第3版 三省堂 2006年11月20日


あらすじ

『伽羅先代萩』

歌舞伎狂言。時代物。五段。通称《先代萩》。奈河輔作。安永六(一七七七)年四月大坂・嵐七三郎座(中)初演。伊達騒動を鎌倉時代の人名に置きかえて脚色した作で、奥州鎮守府の主冠者太郎経睦のおじ錦戸刑部は常陸之助海存と結び梶原景時の後ろ盾で国横領を企て、この陰謀を鎌倉に訴えた伊達顕衝は秩父重忠の明断で勝ち、海存は顕衝をさすが自らも滅ぶ。

頼兼が悪人一味に襲撃されるのを力士絹川谷蔵が助ける〈花水橋〉、鶴喜代を守護する乳人政岡が仁木弾正の妹八汐のため罪に落とされそうになるのを局沖の井・松島の機転で救われる〈竹の間〉、山名宗全の妻栄御前が八汐と結託して鶴喜代を毒害しようとするのを、松岡が一子千松の犠牲で守り抜く〈御殿〉、政岡の手に入った一味の連判状を仁木が鼠の妖術で奪い返し、忠臣荒獅子団の助の鉄扇を逃れて消え去る〈床下〉、仁木らの悪事を訴えた渡辺外記左衛門の訴訟が細川勝元の裁きで勝つ〈対決〉、仁木が外記を刺し、自分も討ち取られ、足利家安泰となる〈刃傷〉の以上六場。

出典:下中直人 『歌舞伎事典』 平凡社 1983年11月8日


作品名の由来

綱宗が名木伽羅の下駄をはいて吉原へ通ったという巷説を写した経睦の遊興と、泉小次郎定倉(片倉小十郎)が先君の愛した萩を先代萩と名付けて自邸に飢える話が題名の由来。

出典:下中直人 『歌舞伎事典』 平凡社 1983年11月8日


登場人物

荒獅子男之助…伊達騒動において幼き藩主亀千代の守り役として知られた家臣に松前八之助がおり、この人物がモデルとされる。その忠臣ぶりは浅岡とともに実録小説の中で描かれ、松前鉄之助という剛の名に変化していった。歌舞伎では、安永六(一七七七)年『伽羅先代萩』が初演されると、忠臣松ヶ枝節之助という名になり、座敷の床下で御旗を銜えて逃げる鼠に一太刀浴びせ、悪人の正体を明らかにする役柄になった。その後『伽羅先代萩』の上演方法が、浄瑠璃『伽羅先代萩』と歌舞伎『伊達競阿国戯場』の見せ場を組み合わせた形となると「床下」は浄瑠璃の内容を引きながらも、役名は足利東山に世界を移した後者の荒獅子男之助を採用するようになった。

仁木弾正…仁木弾正のモデルとなった仙台藩奉行家老だった原田甲斐宗輔(一六一九~七一)である。伊達騒動物の代表作、歌舞伎の奈河亀輔作『伽羅先代萩』は安永六(一七七七)年初演で、ここでは原田甲斐は常陸之助海存の役名で、鼠の妖術を使うのは一味の菅沼小助という役。翌年初演の初代桜田治助ほか作の『伊達競阿国戯場』は伊達騒動に累の伝説を合わせた脚本で仁木弾正左衛門の役名が使われた。


出典:古井戸秀夫 『歌舞伎登場人物事典』 白水社 2006年5月10日


配役

荒獅子男之助…(初代河原崎権十郎) (後の九代目 市川団十郎) 天保9年(1838)~明治36年9月13日(1903) 享年66歳。

7代目市川団十郎(のち5代目海老蔵)・母ための5男として江戸堺町に生まれる。兄弟に8代目団十郎・6代目高麗蔵・7代目海老蔵・猿蔵・幸蔵・8代目海老蔵がいる。うまれて7日目にして江戸木挽町河原崎座の座主6代目河原崎権之助の養子となり、舞踊・絃歌・書画・茶花などの修業をする。はじめ河原崎長十郎と名乗り、6才の天保4(1843)年5月浅草猿若町に河原崎座が移転の舞台開きに千歳役で勤める。嘉永5年9月将軍家に男子が生まれ長吉郎と命名されたので《長》の字を憚って権十郎と改める。明治元(1868)年9月、養父の河原崎権之助が自宅で強盗に切られて横死。2年3月、市村座「蝶三升扇加賀製」に7代目河原崎権之助を襲名し初座頭となる。7年7月東京芝新堀に河原崎座を再興、「新舞台巌楠」に河原崎権之助を山崎福次郎に譲り、9代目市川団十郎を襲名、備後三郎・和田正遠・楠正成の3役を勤める。お家芸を本領として、時代物・世話物に適し、立役・適役・女方を兼ねた。風采が良く、口上・台詞もしっかりしていて風格があり、非常に人気が高く不世出の大役者と持て囃された。文才があり書画骨董にも長じ、社交家であった。


仁木弾正…7代目市川海老蔵(7代目市川高麗蔵)天保4年(1833)~明治7年7月12日(1874) 享年42歳。

7代目市川団十郎(のち5代目海老蔵)の3男(母・さと)。兄に8代目市川団十郎・6代目市川高麗蔵(のちに役者を廃業)、弟に市川猿蔵・9代目市川団十郎、市川幸蔵(のちに役者を廃業)・8代目市川海老蔵、姉のます(4代目坂東蓑助の女房)がいる。初め3代目市川新之助を名乗り江戸の舞台に勤める。弘化元(1844)年6代目松本幸四郎の養子となり7代目市川高麗蔵と改めて3月江戸中村座「姿花寝鏡山」に養父とともに勤める。安政元年(1845)年8月兄の8代目市川団十郎が大坂にて自殺。6代目松本幸四郎の娘ひでを女房としたが離縁する。5年市川新升と改める。6年正月中村座「魁道中双六曽我」に3代目市川白猿を襲名、立ち役として城五郎役。その後、上方に行く。明治7(1874)年大坂より東京にもどり7代目市川海老蔵を襲名したが舞台に一度も勤めることなく死去。時代物と世話物に適し、立役として将来を期待されていた。


出典:野島寿三郎 『新訂増補歌舞伎人名事典』 日外アソシエーツ 2002年6月25日


台本

出典:


衣裳・髪型について

荒獅子男之助の扮装…扮装は市川家に因み、三升紋の入った萌葱の木綿の着付けで袴を股立ちにとり、六弥太格子に牡丹をあしらった裃を着ける。鬘は甲羅付き獅子皮の生締め、顔は薄肉に隈は本来江戸紅の筋隈。九代目の早変わり演出以来一本隈の型もできた。

仁木弾正の扮装…仁木の役は、江戸後期の名優五代目松本幸四郎によって強烈なイメージを造形された。仁木については、五代目幸四郎個人の特徴である、眉の横の黒子や四つ花菱の家紋までもがその役に投影されて、「高麗屋型」として現在にまで継承されている。扮装は銀鼠の半着付けに鼠竜紋の熨斗目の長袴。鬘は、油付き・総髪の燕手という実悪の典型である。

出典:古井戸秀夫 『歌舞伎登場人物事典』 白水社 2006年5月10日


荒獅子男之助の髪型・隈…八方割れ:髷が大きく八方に割れた荒々しい形となっているもの。荒事や武勇の武士などに使用する。               …紅隈:紅隈は強さの象徴

仁木弾正の髪型…羅紗張:月代の部分が羅紗張にしてあるもの。沈着な武士に用いる。

出典:菊池明 花咲一男 『原色浮世絵大百科事典』 第11巻 歌舞伎・遊里・索引 大修館書店 昭和57年11月10日


場面

絶対『床下』だと思われる。(荒獅子男之助がそこしか登場しないため、また、床下が彼のすみかとされているため、仁木弾正が連判状をくわえているため)  


東海道五十三次の場所について

江尻・・・

府中・・・

出典:


参考文献

・古井戸秀夫 『歌舞伎登場人物事典』 白水社 2006年5月10日

・野島寿三郎 『新訂増補歌舞伎人名事典』 日外アソシエーツ 2002年6月25日

・下中直人 『歌舞伎事典』 平凡社 1983年11月8日

・菊池明 花咲一男 『原色浮世絵大百科事典』 第11巻 歌舞伎・遊里・索引 大修館書店 昭和57年11月10日

・アートリサーチセンター http://www.arc.ritsumei.ac.jp