Z0677-054

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総合

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小倉擬百人一首 第五四番歌 儀同三司母


〔翻刻〕

わすれじの行すゑまではかたければけふをかぎりの命ともがな


義理と恩との二ツ櫛に 心の憂きをも包ミたる夫ハさすが相撲ぐし 別れの櫛のはかなくも 黄金にかへて身を売る妻が貞実ハ 是玉ぐしげとやいハん 柳下亭種員記

〔歌意〕

「いつまでも忘れまい」とあなたはおっしゃいますが、そんな遠い先まであなたのお心が変わらないなどということは難しいですから、いっそこうしてお逢いした今日限りのわたしの命であってほしいものです。(1)


絵師:歌川広重

彫師:彫工房次郎

版元:伊場屋 仙三郎

改印:濱 名主単印


〔画題〕

歌舞伎(原作は浄瑠璃)『関取千両幟』第二段の、稲川内の場・木戸前の場の中で女房おとわが夫岩川次郎吉の髪をなでつけている場面を描いた「髪すき」の場面。

〔考察〕

〈余説〉

相撲取稲川をモデルにした人形浄瑠璃、近松半二・三好松洛・竹田小出雲・八民平七・竹本三郎合作『関取千両幟』 世話物、九段、明和4年〈1767)8月 大阪竹本座初演。その中で二段目「髪梳き」と「相撲場」が有名で、歌舞伎に上演された。金策に悩む夫稲川の髪を梳きながら、事の真相を探ろうとするおとわの悩み、身売りを決定するまでの世話女房ぶりが見せ場という。広重画は、本歌「わすれじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」をそのままおとわの心に見立てたのである。画面には、玉櫛笥とひゐき筋からの進上品を書いたびらが張ってある。

『関取千両幟』は浄瑠璃から始まり、歌舞伎、さらには新内節にまで作品化されている話である。その際扱われるのが今回扱う絵にも描かれる第二段、稲川内の段と相撲場の段である。

Joshua S. Mostowによる考察について

1 時間経過のずれ

2 岩川がおとわに自分の八百長について語ったという点

3 鉄ヶ嶽が自分が負けるのを恐れて八百長を頼んだという点

4 また、鉄ヶ嶽が錦木身請けの件を八百長の了承によって支援するとはっきりといってしまっている点

この4点が、浄瑠璃・歌舞伎・新内節どれを取ってみてもJoshua S. Mostowのこの考察とはずれ・相違があるように思える。 Mostowの記述では、岩川と鉄ヶ嶽の争いと髪梳きの場面を相撲取り組み前日であるというように書かれているが、原作を読むと実際は取り組みの当日、かなり直前のことである。時間の流れとしては、

①岩川の九平太への仕打ちに対する鉄ヶ嶽の報報 

②相撲割が配られ今日の取り組みが二人の対決だと分かる 

③鉄ヶ嶽が八百長についてほのめかす 

④岩川が鉄ヶ嶽に負けることを決意 

⑤髪梳きの場面 おとわが真相を探ろうとする 

⑥岩川が取り組みに向かう 

⑦おとわが身売りをする 

⑧取り組みで負けそうになるところへ200両の進上の声がかかる 

⑨岩川の逆転勝利

となっているはずなのに、Mostowは①~⑤、⑦を前日の出来事と記述して、絵の髪梳きの場面ではおとわはすでに身売りをした後としている。

また、Tetsugatake,however,is afraid to lose and asks Jirokichi to let him win the match. He promises to support Jirokichi's patron in ransoming Nishikigi.(2) とあるように、鉄ヶ嶽が負けるのを恐れて岩川に八百長を頼み、その代わりに礼三郎の身請けの件を支援すると約束した。とまで書かれてしまっている。しかし実際は、

  「おれも大名のお抱え、ことに大阪は初めてなれば、この角力しくじるが最期、扶持離れじゃ。スリャこれ、二人ながら大事の角力。  九平太様の名代に恵海庵の仕返しをしたれば、この算用は済んである。また錦木の身うけの事はおれ次第、オヽ、この鉄ヶ嶽が心次第  じゃ。そりゃ水心あれば魚心あり、頼む事も頼まれる事も、まァ今日の角力しもうてから、その上の事にしょうわい。われも随分神仏  でもたヽき廻して、おれに勝つようにせい。したが可哀や、おれと取ったら骨身が砕けて、重ねて土俵踏むことはならぬぞよ。早う頭  取衆を頼んで、ふり替えて貰うなりと、取らぬ方が勝ちじゃあろ。それとも取って見ようと思うなら、魚心あれば水心、稲川、土俵で逢おう。」(3) と、頼むというよりは脅している風であるし、はっきりと八百長を頼んでいるわけでもない。

また、岩川がおとわに八百長のことについて話すのは、おとわが岩川と鉄ヶ嶽の話を聞いていたと知ったからであり、自分から語ったわけではない。

詩と絵の関係について

詩は新古今和歌集巻第十三 恋歌三に収録されているもの。この恋歌三には恋人同士が出会った段階の恋歌を中心としている。この歌も、恋人に会ったことによっての前途への不安・恋人の心変わりへの焦燥を詠った歌である。そのことを考えると、この浮世絵に描かれる女房おとわの胸の内とは趣が異なる。歌に詠まれた「けふをかぎりの命ともがな」の、将来への漠然とした不安に対して、おとわの方は夫との別れが目前に迫っているかもしれないという点で、より「けふをかぎりの命ともがな」という気持ちが切実といえるかもしれない。




(1)『新古今和歌集全評釈』 第五巻 窪田淳 1977年

(2)『The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada』  Henk J. Herwig Joshua S. Mostow  Hotei Publishing 2007

(3)『名作歌舞伎全集』 第七巻 丸本世話物集 東京創元社 1969年

『海音半二山雲宗輔 傑作集』 有朋堂文庫 1918年

〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画 吉田幸一 笠間書院 2002

日本音曲全集奥附『富本及新内全集』 緑蔭書房 1927年 

『浮世絵の鑑賞基礎知識』 小林忠、大久保純一 至文堂 1994年 

『百人一首―王朝和歌から中世和歌へ』 井上宗雄 笠間書院 2004年 

『原色浮世絵大百科事典 第三巻 様式・彫摺・版元』 大修館書店 1982年

『演劇百科大事典』 第3巻 平凡社  1963