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Z0677-004 - 版の履歴
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<p><b>新規ページ</b></p><div>=総合=<br />
小倉擬百人一首 第4番[[山部赤人]]<br />
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四 [[山部赤人]]<br />
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[[田子のうらにうち出て見れバ白妙ののふじのたかねに雪はふりつゝ]]<br />
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歌意:[[田子の浦]]から見晴らしのいいところへ出てみると、真っ白に富士の高嶺に雪が降り積もっているのであった。<br />
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絵師:[[歌川国芳]]<br />
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落款印章:[[一勇斎国芳画]]<br />
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版元:[[伊場屋仙太郎]]<br />
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版元文字:伊場仙板<br />
[[画像:Z0677-004.jpg|thumb]]<br />
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湯島の宮居に遠からで紋瓦の<br />
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梅鉢も由あり駒込の富士に<br />
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いと近くて園に出せる暑中の<br />
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雪も又縁ありといふべきのミ<br />
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[[柳下亭種員]]筆記<br />
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【絵解き】<br />
〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画 吉田幸一、笠間書院 (2002)<br />
湯島の宮居は、『江戸名所図会』巻之五 湯島天満宮の条に。[[太田道灌]]が江戸の静勝軒にいた頃、夢中に菅神に謁見した翌朝、管丞相([[菅原道真]])の画像を持ってきた者があったので、直ちに城外の北に祠堂を建てて、かの神影を安置し、梅の樹数百株を植えたのが、湯島天満宮とある。その神社の瓦が梅鉢だった。それから岩槻街道を北へ進むと、駒込に富士浅間神社がある。祭神は[[木花開耶媛]]。昔は本郷加州候(加賀前田候)の後園にあったのを、寛永年中にここに還したという。国芳は、[[種員]]筆記により「富士の高ねの雪」の縁から、暑中の雪(掻氷)を描く。<br />
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The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing <br />
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どうやらどこかで既婚女性(眉の無い女性)は、大きなボウルから重箱に氷を移しているらしい。彼女の後ろに居る若い女性、未婚女性(眉が長く、振袖姿)は、既婚女性の上に[[麦藁細工の蛇]]を持っており、手で口を覆って笑い声を押さえている。麦藁細工の蛇は、駒込の[[富士浅間神社]]から伝わっている。その神社は、[[富士山]]への崇拝を捧げられていて、小規模な山(ミニチュア)を作ることが(富士山への崇拝の)特徴とされている。<br />
裕福な侍の家族は、1年で一番暑い日に、富士山の上で氷を食べることが習慣となっていた。既婚女性は買っていた氷を休養のために氷室の外に持ち出していた。氷を富士山と同じ形にして、未婚女性は蛇を使って富士巡礼の旅を表現した。<br />
種員は、駒込の[[富士浅間神社]]と[[湯島天神]]の関係を、梅の木で有名であると描いたが、nature of the associationはあきらかでない。<br />
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富士浅間信仰について<br />
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浅間神社では、何度も噴火を繰り返す荒ぶる神を鎮謝するため、浅間の神を祀った。<br />
その秀麗な富士山を対象とする山岳信仰は古くから行われ、江戸時代になって民衆の信仰の対象となり大衆化した。富士登山をすることは一般の人にはなかなかできないことであったから、江戸の街では富士山を模造([[富士塚]])し、浅間神社を勧請して、簡単に済ませられる[[富士参]]が行われた。時期は六月朔日であるが、前夜の五月晦日より群集した。([[富士講]])<br />
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『富士浅間信仰』『原色浮世絵大百科事典』<br />
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【考察】<br />
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この絵の情景については、まず、既婚女性は氷を大きなボウルから重箱に移していることがわかる。絵をみると、重箱へ移された氷が山盛りにされ、富士山を真似ていることが見て取れる。女性がどこで氷を盛り付けており、この後どこかへ運ぶつもりなのか、詳細はわからないが、富士山のミニチュアをつくり、それにより富士信仰を表しているものと考えられる。<br />
後方に立つ未婚女性は、麦藁の蛇を手に持ち、もう片方の手で自分の口を押さえている。この蛇は浅間神社で古くから伝わる縁起物であり、ここからも、この絵は富士信仰を題材に描かれていることがわかる。<br />
このふたりの女性によって富士詣が再現され、それを国芳は描いたと思われる。<br />
<br />
この絵に描かれる二人の女性について、この女性たちの名前や二人の関係など、はっきりした情報を見つけることはできなかったが、Joshua S. Mostow氏が述べているように、麦藁の蛇を持つ後方の未婚女性が、自分の笑った口をもう片方の手で覆っている、などと解釈すると、二人の関係やその場の空気が和やかなものであると読み取ることができ、見方によっては母娘と考えられなくもないのではないか。<br />
<br />
富士山は神々しい山として、赤人の歌に詠まれている。この歌は、田子の浦を通り開けた土地から見た富士山を詠んだ歌であり、赤人は遠くから富士の高嶺に雪が降り積もった様子を眺めていたものと思われる。国芳が描いたこの絵の女性たちも、直接富士山へ参詣することができないため、氷を富士山に真似て、富士信仰を唱えていると思われる。<br />
共通する点は幾つかあると思うのだが、この歌と絵の擬えについては明らかにすることができなかった。<br />
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《参考文献》<br />
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・〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画 吉田幸一、笠間書院 (2002)<br />
<br />
・The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing <br />
<br />
・『日本国語大辞典』小学館 (1972、12、1)<br />
<br />
・『国史大辞典』国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館<br />
<br />
・『日本史大辞典 第四巻』下中弘 平凡社(1993、8、18)<br />
<br />
・『原色浮世絵大百科事典 第二巻 浮世絵師』浅野秀剛 東京:大修館書店 (1982、8)<br />
<br />
・『原色浮世絵大百科事典 第五巻 風俗』遠藤武 東京:大修館書店(1980、11)<br />
<br />
・『浮世絵事典』 画文堂(1977、6)<br />
<br />
・『神社辞典』 東京堂出版(1979、12、15)<br />
<br />
・『神社祭神辞典』 展望社(1982、4、30)<br />
<br />
・『燕石十種 第五巻』 中央公論社(1980、1、25)<br />
<br />
・『続燕石十種 第三巻』 中央公論社(1980、9、25)<br />
<br />
・『民衆宗教史叢書 第十六巻 富士浅間信仰』編者:平野宗次 発行:長坂一雄(1987、6、5)<br />
<br />
・『富士山の祭神論』著者:竹谷靭負 発行:岩田書院 (2006、9)<br />
<br />
・『群書類従 第九輯』『富士山紀』都良香<br />
<br />
・『江戸の庶民生活・行事事典』渡辺信一郎 東京堂出版〈2000、7、20〉<br />
<br />
</div>
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