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=='''「東海道五十三次 吉原 すゝめ商人」「東海道五十三次 蒲原 狐忠信」'''==<br />
[[画像:ArcUP4677.jpg|thumb]]<br />
画題: 「東海道五十三次 吉原 すゝめ商人」「東海道五十三次 蒲原 狐忠信」<br />
<br />
絵師: 三代目豊国 <br />
<br />
版型: 大判/錦絵 <br />
<br />
落款印章: 豊国画(年玉枠) <br />
<br />
改印: 巳正改 <br />
<br />
出版年月日: 安政4(1857)年<br />
<br />
配役: すゝめ商人・・・4代目尾上菊五郎 狐忠信・・・4代目市川小団次 <br />
<br />
上演場所: 江戸(役者絵) <br />
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===題材===<br />
狐忠信が描かれていることから、題材は義太夫節の曲名「義経千本桜」であると推測できる。<br />
<br />
通称「千本桜」。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳(宗輔)合作。歌舞伎での初演は寛延元(1748)年春伊勢の芝居、同年5月江戸中村座。この前年に初演された「菅原伝授手習鑑」、翌年に初演された「仮名手本忠臣蔵」とともに、日本演劇の三大傑作と数えられる名作。<br />
<br />
「義経千本桜」は全五段からなる長編で、題名に「義経」の名を冠せているが、各段の主人公は義経ではない。序段は義経の室卿の君、二段目は渡海屋銀平・実は平知盛、三段目はいがみの権太、四段目は狐忠信が、それぞれ主人公である。義経はこうした主人公たちの狂言まわしのような役割で登場する。作品は平家滅亡の後日譚という形式をとっている。壇ノ浦で平家一門が入水し、義経が都へ凱陣したところから劇は始まる。<br />
<br />
<br />
参考文献:古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月10日)、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『演劇百科大事典』(平凡社 1961年9月18日)、水落潔「義経千本桜の世界」(村上元三『現代語訳 日本の古典18 義経千本桜』学研 1980年9月26日)<br />
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<br />
===あらすじ===<br />
全五段に及ぶ長編であるため、狐忠信が登場する場面のみを筋書きする。<br />
<br />
狐忠信は二段目〔伏見稲荷鳥居前〕から登場する。その本性は狐。後白河院から源義経に下賜された自分の両親の皮で作られた初音の鼓を求めており、義経から鼓を与えられた静御前が逸見籐太に拉致されかかった際、狐忠信は義経の家臣・佐藤忠信に化けて静御前を助ける。それを見ていた義経は、忠信が狐が化けた姿であるということを一切疑うことなく賞賛する。そして狐忠信はその功として源九郎義経の名乗りを許され、いざという時は身代わりになるよう申し付けられる。その上に着長(鎧)まで賜り、静の供を命じられる。<br />
<br />
四段目〔道行初音旅〕では、吉野山にいる義経を訪ねようとしている静御前の供として道行きをする。<br />
<br />
しかし、同段の〔川連法眼館〕において、同山川連法眼館に本物の忠信が登場したことで遂に狐の本性を明かす。そこで初めて身の上を語り、自らは初音の鼓の皮になった狐の子であると明かすので、義経はこれまでの忠勤をめでて鼓を与える。狐は恩返しにと義経を狙う吉野山の衆徒を翻弄する。<br />
<br />
<br />
参考文献:古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月10日)、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『演劇百科大事典』(平凡社 1961年9月18日) <br />
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<br />
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<br />
===場面===<br />
[[画像:006-1574.jpg|thumb]]<br />
「義経千本桜」にすゝめ商人という人物は登場しないため、この絵に忠実に再現された場面は上演内には存在しない。<br />
<br />
しかし、狐忠信が旅装束を身に着けているという点から、四段目〔道行初音旅〕の場面を描いているのではないかとも考えられる。<br />
<br />
すゝめ商人を静御前に置き換えれば、まさしくそれであろう。<br />
<br />
<br />
【図】「浄御前」「狐忠信」(安政3年7月 3代目豊国画)<br />
:浄御前・・・4代目尾上菊五郎 狐忠信・・・4代目市川小団次<br />
<br />
<br />
右図こそが、安政3(1856)年7月15日上演「義経千本桜」の役者絵であると考えられる。<br />
<br />
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<br />
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<br />
===台本===<br />
*底本:演劇博物館所蔵本(明治29年3月および21年11月と裏表紙に記入してあるもの)<br />
<br />
<br />
:〽谷の鶯初音の鼓〳〵、調べあやなす音につれて、つれて招くさ音につれて、おくればせなる忠信が、東からげの旅姿、<br />
<br />
::ト静、鼓を取り出し、これを打つ。雷序、どろ〳〵になり、花道のすっぽんより忠信、黒綸子の着附、手甲脚絆、風呂敷包みを背負い、笠を持ちてセリ上がる。<br />
<br />
:〽背に風呂敷をしかとせたら負うて、野道畔道ゆらり〳〵、軽いとりなりいそ〳〵と、目立たぬように道隔て、<br />
<br />
::ト忠信、花道にてよろしく振りあって、舞台へ来る。<br />
<br />
静 忠信どの、待ちかねました。<br />
<br />
忠信 これは〳〵静さま。女中の足と侮って、思わぬ遅参、まっぴら御免下さりませ。幸い辺りに人目なし。<br />
<br />
静 こゝは名に負う吉野山、四方の景色もいろ〳〵に、<br />
<br />
忠信 春立つというばかりにや三吉野の、<br />
<br />
静 山も霞みて、<br />
<br />
両人 今朝は見ゆらん。<br />
<br />
<br />
参考文献:戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝・山本二郎『名作歌舞伎全集 第2巻 丸本時代物集一』(東京創元新社 昭和43年9月9日)<br />
<br />
<br />
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<br />
===吉原と蒲原===<br />
<br />
吉原と蒲原はともに「東海道五十三次」における14番目、15番目の宿場である。<br />
<br />
*吉原<br />
<br />
江戸から三十四里二十七町、京へは九十里〇二町。駿河国富士郡に位置する。江戸初期までの吉原宿(元吉原)は海沿いの地にあったが、津波などの被害が大きかったために、中吉原への移転をへて天和2(1682)年、内陸寄りの新吉原へと移った。<br />
<br />
元吉原を出て間もなくのところで、街道は左右に蛇行しながら北へと向きを変える。街道を上る旅人にとっては、道が右に振れたとき、ずっと右手に見てきた富士山が左手に見えることから、「左富士」として知られた名所であった。広重は東海道物で吉原宿を描く場合、この左富士を画題とすることが圧倒的に多い。<br />
<br />
<br />
*蒲原<br />
<br />
吉原宿から難所の富士川を渡って蒲原宿へ二里三十町。駿河国庵原郡に位置する。<br />
<br />
<br />
*吉原とすゝめ商人<br />
「登場人物」の項にて説明を付す。<br />
<br />
<br />
*蒲原と狐忠信<br />
関連性は不明。狐も、そのモデルとなった源九郎狐も大和の国に住んでいたとされ、狐が化けたという佐藤忠信は陸奥出身であるため、蒲原との関係はない。<br />
<br />
<br />
参考文献:八幡義夫『東海道』(有峰書店新社 昭和62年9月30日)、鈴木重三・木村八重子・大久保純一『保永堂版 広重東海道五拾三次』(岩波書店 2004年1月23日)、国史大辞典編集委員会『國史大辭典』(吉川弘文館 1979年3月-1997年4月)<br />
<br />
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<br />
===登場人物===<br />
<br />
*すゝめ商人<br />
<br />
すゝめ商人、あるいはそれに類似する人物は「義経千本桜」に登場しない。本来ならばこの位置に静御前が描かれているのが正しい。<br />
<br />
「東海道五十三次」のうちの吉原に関連するものとして、このすゝめ商人が描かれた可能性が高いとする。吉原と雀の結びつきが強いものに、長唄の「[[吉原雀]]」がある。<br />
<br />
すゝめ商人は鳥売(放し鳥売)であることが、その名と姿から明らかである。鳥売(放し鳥売)とは放生会(万物の生命を尊ぶ法会で、放生とは捕えた魚・鳥などを放ってやること)のための放し鳥を売る物売であり、鳥は雀に限られていた。各地で定例や追善供養の放生が行われ、それを目当てに放し鳥売や放し龜売が市中に出た。<br />
<br />
絵の中ですゝめ商人が持っているのは天秤棒であり、両端に荷をかけて中央に肩をあて、担ぎ運ぶときに用いられる。<br />
<br />
<br />
以下は、他の興行における鳥売(放し鳥売)を描いた画題<br />
<br />
<gallery><br />
画像:101-6677.jpg|新吉原雀「鳥うりおやま」(嘉永5年9月 3代目豊国画)<br />
画像:101-6676.jpg|新吉原雀「吉原すゞめの忠」(嘉永5年9月 3代目豊国画)<br />
画像:101-6680.jpg|新吉原雀「いさみ吉原雀の忠」(嘉永5年9月 3代目豊国画)<br />
画像:101-6679.jpg|新吉原雀「鳥うりおくめ」(嘉永5年9月 3代目豊国画)<br />
画像:101-6681.jpg|吉原雀「長唄吉原雀」(万延1年12月 3代目豊国画)<br />
</gallery><br />
<br />
※画像下の簡易説明は 興行名「画題」(上演年月日 絵師) で表記<br />
<br />
<br />
*狐忠信<br />
モデルとなった大和の国の源九郎狐の名は井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻一、近松門左衛門『天鼓』五段目にも見える。<br />
<br />
初演のとき、道行の場の忠信の衣裳に、演出家の吉田文三郎がこの場を語る政太夫の定紋である源氏車の模様をつけたところ大好評で、以来忠信とあれば源氏車の模様に限られて今日に及んでいる。<br />
<br />
四段目の「川連法眼館」の場では、忠信は狐の変化であることが明らかになり、その後はひたすら親を慕う子狐の心情を表現する。同時に、狐であることを示すため早替りをはじめとするケレンと呼ぶアクロバティックな演出、演技の工夫がなされている。この場の狐忠信には二系統あり、5・6代目菊五郎の子狐を慕う情の表現に重きを置きケレンの要素を抑えた音羽屋型に対して、幕末の名優4代目市川小団次からはじまり近代の上方役者初代市川右団次へ伝わったものが初代市川猿之助(2代目段四郎)、2代目猿之助(初代猿翁)を経て3代目実川延若に継承され、それが再び現猿之助へ戻り、さらに創意工夫が凝らされたケレン味の濃い現行沢瀉屋型がある。<br />
<br />
歌舞伎では、本作の平知盛・いがみの権太・狐忠信の三役を「立役の卒業論文」ともいい、三役こなせることが名優の条件となっている。<br />
<br />
<br />
参考文献:原色浮世絵大百科事典編集委員会『原色浮世絵大百科事典』(大修館書店 昭和55年10月20日)、古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月10日)、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『演劇百科大事典』(平凡社 1961年9月18日)、日本大辞典刊行会編『日本国語大辞典』(小学館 1977年)<br />
<br />
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<br />
===配役===<br />
出版年に最も近く、絵に描かれた人物に似ている役者が出演している「義経千本桜」の上演は安政3(1856)年7月15日市村座のもの。<br />
<br />
その時の配役は、静御前が4代目尾上菊五郎、狐忠信が4代目市川小団次であった。<br />
<br />
<br />
*四代目尾上菊五郎(すゝめ商人?)<br />
<br />
1808~1860年。大坂の人。女方として、幕末の舞台で活躍。<br />
<br />
容姿はあまり優れてはいなかったが、品格があって風采が立派であった。娘方よりも年増役に適し、世話物よりも時代物を得意とし、「伊達」の政岡、「戀女房」の重の井、「鏡山」の尾上、「千本櫻」の典侍局などがその当たり藝である。安政3(1856)年7月15日よりの上演では、静御前、お里、内侍などの女方を演じている。<br />
<br />
※なお、すゝめ商人は「義経千本桜」に登場せず、四代目尾上菊五郎もこれを演じてはいない。しかし、この役者絵が〔道行初音旅〕の場面を描いていると推察できることから、三代目豊国は安政3年7月15日の興行において菊五郎が演じた静御前をもとに、すゝめ商人を描いたのではないかと考えられる。<br />
<br />
<br />
*四代目市川小団次(狐忠信)<br />
<br />
1812~1866年。文政5(1822)年、市川米蔵の名で子供芝居に出て各地を回り、文政7(1824)年には京都の和泉式部座の子供芝居へ出て、「忠臣蔵」の由良之助、「四谷怪談」のお岩、「千本櫻」の狐忠信を勤めて好評を得た。天保15年、小団次を襲名。三年後江戸に下り、それ以後20年間江戸の舞台を勤め、門閥なくして座頭の地位を得るまで出世した。「千本櫻」狐忠信役は嘉永元年(37歳)においても演じている。<br />
<br />
小男で口跡も悪かったが、厳しい身体的訓練と演出やせりふ廻しを工夫することによって克服。立役も女方も、実事も敵役も、善悪老少男女を全てこなし、その技芸は多方面に及んだ。<br />
<br />
<br />
参考文献:服部幸雄・富田鉄之助・廣末保『歌舞伎事典』(平凡社 2011年3月)、近世文芸研究叢書刊行会『近世文芸研究叢書 第二期芸能編3 歌舞伎3 近世日本演劇史』(クレス出版 1996年12月)<br />
<br />
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<br />
===参考文献===<br />
古井戸秀夫『歌舞伎登場人物事典』(白水社 2006年5月10日)<br />
<br />
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『演劇百科大事典』(平凡社 1961年9月18日)<br />
<br />
戸坂康二・利倉幸一・河竹登志夫・郡司正勝・山本二郎『名作歌舞伎全集 第2巻 丸本時代物集一』(東京創元新社 昭和43年9月9日)<br />
<br />
八幡義夫『東海道』(有峰書店新社 昭和62年9月30日)<br />
<br />
鈴木重三・木村八重子・大久保純一『保永堂版 広重東海道五拾三次』(岩波書店 2004年1月23日)<br />
<br />
原色浮世絵大百科事典編集委員会『原色浮世絵大百科事典』(大修館書店 昭和55年10月20日)<br />
<br />
服部幸雄・富田鉄之助・廣末保『歌舞伎事典』(平凡社 2011年3月)<br />
<br />
近世文芸研究叢書刊行会『近世文芸研究叢書 第二期芸能編3 歌舞伎3 近世日本演劇史』(クレス出版 1996年12月)<br />
<br />
国史大辞典編集委員会『國史大辭典』(吉川弘文館 1979年3月-1997年4月)<br />
<br />
日本大辞典刊行会編『日本国語大辞典』(小学館 1977年)<br />
<br />
</div>
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