ArcUP0467

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総合

「恋合 端唄尽」 「おかる 勘平」

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三段目


絵師:三代目豊国


版型:大判/錦絵


落款印章:任好 豊国画(年玉枠)


版元名: 笹屋 又兵衛


改印: 申五改


配役: おかる・・・四代目尾上菊五郎、勘平・・・初代中村福助


上演年月日:万延元年・五月


上演場所:江戸(見立)


・翻刻

「身一ツを置所なき胸の内 一重の心八重にとき ゆびきり髪切 やほな気しようや神々さんへ おせはをかけてぬば玉の 恋のやみじじやないかいな

「今さらにあふはわかれとたがいゝそめし ひよく連理のかたらいに 残る詞のよすからを うらむまいものさりとては

(概要)

勘平は塩冶判官の武士で、おかるは判官の妻・顔世御前の腰元。二人は深い関係で、勘平は塩冶判官のお供で外出する際、一人抜け出してはおかるとの逢い引きを楽しんでいた。ある日、勘平とおかるが忍び会っていた時に、判官が高師直に刃傷に及ぶという大事件が起こる。勘平は大事の場に居合わさなかった不忠を悔やみ、切腹し自らの命を絶つことで償おうとするもおかるに止められ、二人はおかるの両親のいる山崎の実家へ駆け落ちする。  その後、勘平とおかるは夫婦になり、勘平は猟師として生活していたが、京にほど近い山崎街道にてかつての塩治判官の家臣であり、同志であった千崎弥五郎と出会い、亡き主君の仇討ちの計画を知らされる。勘平はどうしてもその仲間に加わりたかったが、そのためには活動資金が必要であった。勘平が侍に戻ることを熱望していると知ったおかるの父与市兵衛は、勘平に内緒でおかるを祇園町の遊郭一文字屋に百両で売る交渉に成功する。その前金の半金五十両を手にして帰る途中で、盗賊となっている斧定九郎に殺され金を奪われる。たまたまそのとき、勘平はその付近で猟をしており、斧定九郎を猪(しし)と間違えて誤射してしまい、殺してしまう。勘平は盗賊が大金の入った財布を持っていることに気づき、持ち主を失ったその財布を横領してしまう。こうして、金五十両は勘平に直接渡らずに、盗賊を経由したがために犯罪の金となってしまう。家に帰った勘平は、おかるの身売りの事実を知り、彼女の心遣いに感涙するが、そこへ与市兵衛の死骸が運ばれ大騒ぎとなる。姑のおかやは勘平の持っていた財布を見て、射殺したのは舅ではないかと疑う。勘平も闇夜の中で何者か知らずに取った財布だけに、自分が義父を誤って殺してしまったと思い込み、動転してしまう。そして訪れた同志(千崎弥五郎、原郷右衛門)からも、駆け落ちした上に、金欲しさに悪事まで働くとは何事か、とさんざんに責められる。追い込まれた勘平は切腹。やがて勘平の疑いは晴れ、知らぬうちに与市兵衛の仇討をしていたことが分かる。同志の心遣いで瀕死の勘平の名は討ち入りの連判状に加えられる。涙にくれるおかやと同志に見守られながら勘平は息絶える。

(登場人物)

おかる(お軽)・・・モデルは大石内蔵助良雄が京都山科に囲っていた妾で、京二条寺町二文字屋次郎左衛門の娘おかる。百姓与市兵衛の娘で、早野勘平の女房、のち一文字屋抱傾城(遊女の別称)。塩冶家の腰元であったが、勘平とともに駆け落ちする。勘平が再び侍に戻るための資金工面に祇園町の一文字屋へ身を売った。数か月後、祇園町の一力茶屋で久々に再会した兄の寺岡平右衛門から勘平と父の死を知らされ、生きる望みを失う。その際、由良助(モデル:大石内蔵助、赤穂討入の統率者)の同志に加わりたい兄の手によって殺されかけるが、実の妹を殺してまでも仲間に入りたいという兄の熱意を由良助が汲み取り、おかるは殺されずにすみ、平右衛門は討入の仲間に加えてもらった。おかるは由良助の身請けにより自由の身となった。 原作の人形浄瑠璃では、おかるは祇園町の白人(祇園町に生まれた素人風の遊女のこと)になる。「わたしゃお前に盛りつぶされ、あまりつらさの酔い醒し、風に吹かれているわいなァ」という風情が生まれた。


勘平・・・本名早野勘平重氏。モデルは赤穂義士の盟約に参加しながら、仕官を勧める父との板挟みになって自刃した萱野三平重実。「勘平」の名は四十七士中の横川勘平に基づく。さらに遊女と心中死を遂げた橋本平左衛門を重ね合わせているともされる。「早野勘平」という名の初出は享保十七年豊竹座の浄瑠璃「忠臣金短冊」で、由良助の本心を探ろうとして討たれ、連判への加盟を許されて死ぬ。 「仮名手本忠臣蔵」では、塩治判官高貞が高師直に対して刀傷に及んだ時、事件の発生した足利館の裏門でおかるとの逢瀬を楽しんでいたことを恥じて、切腹しようとするもおかるに止められ二人で駆け落ちする。その後、おかるの親元が住む京、山崎で猟師をしていた勘平だったが、師直への仇討ちに加わるべく軍資金を確保しようとし、成功する。しかし入手した手段が侍の道にもとる非道なものだと誤解され、切腹する。その直後勘平の無実が判明する。討ち入り血判状に判を押し、討ち入り組の一人に名を連ねたところで絶命する。同志の義士は勘平の財布を形見にして仇討ちに臨む。   切腹し瀕死の勘平が後悔にふける「いかなればこそ勘平は、三左衛門が嫡子と生まれ、十五の年より御近習勤め、百五十石頂戴いたし、代々塩冶の御扶持を受け、束の間御恩は忘れぬ身が、色にふけったばっかりに、大事の場所にも居り合わさず、その天罰で心を砕き、御仇討ちの連判に加わりたさに調達なしたる金もかえって石瓦」というセリフが有名である。このセリフは浄瑠璃の本文にはなく、歌舞伎演劇によって創作されている。この勘平のセリフにこそ、彼の悲劇的な人生が凝縮されている。

(題材)

仮名手本忠臣蔵

豊国 「忠臣講釈」 「仮名手本忠臣蔵」
豊国 「忠臣講釈」 「仮名手本忠臣蔵」

(モデルとなった実説 元禄赤穂事件)

元禄赤穂事件とは、元禄十四年(1701)三月十四日、江戸城内で勅使饗応役の浅野内匠頭が饗応指南役の吉良上野介に刃傷に及び即日切腹、浅野家断絶の処分を受けた内匠頭家臣四十七人が翌十五年十二月十四日、亡君の仇として吉良上野介邸へ討ち入る「赤穂浪士討入り事件」のことである。「仮名手本忠臣蔵」は、この事件を劇化したものである。


泰平の時代とも呼ばれた元禄期に起きた史実であり、この事件は一般的に「忠臣蔵」という名で広く知られているが、この名称は「仮名手本忠臣蔵」やそこから派生した様々な作品の通称であり、実際の事件を指す名称ではない。元禄赤穂事件はこれまでに数多くの芝居、映画、テレビドラマなどで取り上げられているが、脚色も多いとされている。

(配役)

四代目尾上菊五郎  1808~1861 享年53歳

 初め、中村歌六の門人中村辰蔵と名乗り、師の下で修業を積む。のちに中村歌蝶と改める。1831年、三代目尾上菊五郎(のち大川橋蔵)の長女と結婚し、尾上菊枝を名乗る。弘化3年正月「倣曽我大江山入」に四代目尾上梅幸を襲名。安政2年9月「木下蔭硯伊達染」に四代目尾上菊五郎を襲名。容姿は決して良くはなかったが、風采が良く、女方として年増役が得意であった。


初代中村福助  1830~1899 享年70歳

 二代目中村富十郎の門人中村富四朗(のち座の頭取)の次男として生まれる。弟に政治郎(のち二代目中村福助)がいる。初め中村玉太郎と名乗り師の下で修業を積む。のち中村駒三郎と改める。天保9(1938)年四代目中村歌右衛門の養子となって江戸に下り、翌10年3月中村座「花翫歴色所八景」に中村福助と改める。万延元年7月四代目中村芝翫を襲名。東都を代表する役者となる。時代物と世話物に適し、背は低かったが容姿・口跡がよく、立役・実悪・女方を兼ね、東西の舞台に勤めた。

(演劇について)

「仮名手本忠臣蔵」は全十一段からなり、現在でもほとんどその全段が演目として残されている数少ない浄瑠璃・丸本歌舞伎である。ただし歌舞伎の内容は人形浄瑠璃とは大きく異なっている。今回の浮世絵に登場するおかる、勘平は、本演目の第三段・第五段・第六段・第七段(おかるのみ)に登場する。第三段の、塩冶判官の刃傷事件の際、逢瀬で後れをとった勘平が苦悩の末、おかるに伴われ彼女の実家に駆け落ちするシーン(裏門合点)は、現在の歌舞伎演劇においてほとんど上演されることがない。代わりに「道行旅路の花聟」(通称落人)という、本来「仮名手本忠臣蔵」にはないストーリーが現在では一体化して上演されている。「道行旅路の花聟」とは、おかると勘平が駆け落ちし、鎌倉から京都の山崎まで逃げ延びる途中、戸塚(現在の横浜市)での出来事を描いている。鎌倉から京都までの間に戸塚を通ることは考えにくいのであるが、これは途中から挿入された話であるから仕方ないといえる。また、もともとの設定は夜であったのだが、どう聞いても日中としか言いようのないセリフも出てくる。これらの矛盾は、時代物と世話物を必ず合わせて上演した江戸時代の興行形態の名残である。「裏門合点」の代わりに上演される「道行旅路の花聟」は、楽しく色彩豊かな所作事であり、華やかな気分を堪能できる演目である。セリフには地口も盛り込まれており、舞踊において定番の演目にもなっている。

古来二枚目の役どころとされる勘平は、女形による所演、若衆風の扮装などを経て、江戸ではおおむね文化文政期までに、月代の伸びたむしりの鬘による青年の印象を確立する。年齢設定は作品の中に「三十になるやならず」とある。演劇がすすむにつれて、六段目のおかるが祇園町に売られていく場面で、勘平が家の中で紋服に着替える演出が生まれる(縞物の着付けから爽やかな浅葱色の紋服に着替えるのが江戸の型なのに対して、上方の演出では六段目も地味な縞物に着替える)。 三段目「裏門合点」の代わりに上演されるのが定着化した「道行旅路の花聟」では、黒紋付姿の勘平がおかるとともに美しい舞台面をゆく道行となっている。五段目「鉄砲渡し(勘平と千崎弥五郎が出会う場面)」「二つ玉(勘平が猪と間違って斧定九朗を殺す場面)」は、演劇を重ねる毎に浄瑠璃の詞章を省略した黙劇化の傾向にあり、暗闇の中で獲物を探るべく縄をさばく勘平の動きが様式的に洗練されている。また、「二つ玉」において、登場する与市兵衛・勘平・斧定九朗の三役を早変わりで勤める演出も伝わっている。六段目「早野勘平腹切の場」では、世話狂言的な劇化となっており、原作の浄瑠璃とは全く違ったものとなっている。観客は五段目において与市兵衛を殺害したのが勘平ではないことを知っていて、その中で登場人物は一切その真相を知らないままに勘平切腹の悲劇に至る。とくに尾上菊五郎家はこの場面において、三代目に発して五代目が完成させた「菊五郎型」と呼ばれる詳細な手順があり、一挙手一投足に至るまで、細かく伝承されている。この型は江戸風に洗練された義太夫狂言の代表格ともいわれている。セリフも多少のアレンジが加えられているが、勘平が切腹してからの述懐で「色に耽っばっかりに」と自嘲しながら、血で染まった手形を頬につける演出などは鮮烈極まりない。  関東では、勘平は才兵衛(お才)と話している時に着替える。これはこの時点で武士に戻っていることを意味し、武士の格好のままで腹を切ることに美学を見出しているのではないかと考える。一方上方での演出は、勘平が切腹した後に羽織を上に羽織る。このように関東と上方では演出の相違がいくつかあったようである。

(作品について)

 アートリサーチセンターの作品解説では、この絵は物語の第六段、「金策のために祇園町へ売られていくお軽が夫の勘平に別れの挨拶をする、身売と称される一場面を描いている」とある。おかるを迎えに祇園町一文字屋の亭主才兵衛(現行の歌舞伎の演出では亭主は登場せず、代わって一文字屋女房お才が登場して同じ役どころをつとめている)と、女衒の源六が家へやってきたところに勘平が帰ってきて、おかるが自分のために身を売った事実を知り、別れの言葉を交わすシーンが今回の作品のシーンである。絵を見てみると、おかるが手ぬぐいを手に持ち、歯で噛みしめているように見える。これは、夫の勘平と離れる寂しさ、辛さをこの手ぬぐいによって強調して表現しているのではないだろうか。 一方、勘平は、左手で袖をまくり、勇ましい表情で泣いているおかるを見つめている。ここから、勘平は男らしい人物設定であり、これが代々歌舞伎において二枚目と呼ばれる役者たちが勘平役を演じてきた理由なのであろうと考察する。 アートリサーチセンターの情報によると、この絵は見立であると記されていた。万延元年は、この絵においておかる役を演じている四代目尾上菊五郎が引退した年である。この年の四月に、彼は中村座において「仮名手本忠臣蔵」にかほよ、となせ、かほる、お園の四役で芝居を勤めている。これが名残の舞台であるので、この絵の実際の上演はなく、やはりこの作品は見立であろう、という推測ができる。 また、「演劇について」の部分で叙述したように、この絵の勘平は浅葱色の紋服を身に纏っていることから、作品は関東の演劇をイメージしたものであることが分かる。


(まとめ)

今回の作品「おかる・勘平」は、「仮名手本忠臣蔵」の赤穂浪士の討ち入りの本編とは離れたサブストーリーであるが、それが本題とは何ら遜色ない素晴らしい内容で構成されており、男と女の悲劇の恋物語を描くことで「仮名手本忠臣蔵」という作品をさらに面白くしていることが分かった。

絵の中でおかるが手ぬぐいを持っているが、歌舞伎の演出の中ではそのようなシーンは見受けられなかった。興行によっては六段目の勘平とおかるの別れのシーンでおかるが手ぬぐいを持っているものがあるかもしれないので、引き続き調べてみようと思う。

また、上方と関東では、同じ作品であっても演出や所作が大きく異なる点があること、そして、作品が時代の流れとともに内容が微調整されて、「型」というものができ、今日に至るまで伝承されていることが分かった。

「おかる・勘平」のような恋や金にまつわる人間ドラマが巧みに描かれていることが、「仮名手本忠臣蔵」がどんな不入り芝居でもこれさえ出せば当たる「歌舞伎の独参湯(気付け薬)」と呼ばれている所以である。


五渡亭国貞画 道行旅路の花聟(静岡県立中央図書館) 三代目豊国が描く仮名手本忠臣蔵(早稲田大学演劇博物館)





豊国 五段目
豊国 四段目大星由良助、五段目百姓与市兵衛






<参考文献>

  ・「仮名手本忠臣蔵」 服部幸雄編著 白水社 1994年3月10日

・「歌舞伎人名事典」 野島寿三郎編 紀伊国屋書店 2002年6月25日

・「芝居絵に見る 江戸・明治の歌舞伎」 早稲田大学演劇博物館編 小学館 2003年7月20日

・「歌舞伎登場人物事典」 古井戸秀夫編 白水社 2006年5月10日

・「歌舞伎ハンドブック 第3版」 藤田洋編 三省堂 2006年11月20日

・「日本の古典に楽しむ⑪ 仮名手本忠臣蔵」 戸板康二 世界文化社 2006年12月15日

・「歌舞伎座を彩った名優たち―遠藤為春座談―」 犬丸治編 雄山閣 2010年5月31日