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2024年3月28日 (木) 13:57にimported>WikiSysopによる
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<p></p>
<p><b>新規ページ</b></p><div>=総合=<br />
=='''恋合 端唄尽し 小町 業平'''==<br />
[[画像:ArcUP0456.jpg|thumb]]<br />
画題:恋合 端唄尽し 小町 業平<br />
<br />
絵師:3代目豊国<br />
<br />
判型:大判/錦絵<br />
<br />
落款印章: 任好豊国画<br />
<br />
版元名:笹屋 又兵衛 <br />
<br />
改印:申七改 <br />
<br />
上演年月日:万延01(1860)・07・()<br />
<br />
上演場所:江戸(見立て)<br />
<br />
配役:小町…沢村 田之助 業平…沢村 訥升<br />
<br />
≪翻刻≫<br />
<br />
小まちおもへば照日もくもる四位の<br />
<br />
少将が涙あめ九十九夜さでござんす<br />
<br />
おふせにおよばずそりやそふでのふて<br />
<br />
かいな御所車にみすをかけたへ<br />
<br />
こちや卒塔婆に腰かけたヱヱゝ<br />
<br />
ばゝじやヱ<br />
<br />
小まち姫色ふかくさの<br />
<br />
少将が恋にはたれしも<br />
<br />
ゆきなやむしやくといふ<br />
<br />
字に別れてのしきゐのたかき<br />
<br />
門の戸をあめかあられかはらゝと<br />
<br />
わたしのりんきはぬしのわざやがて<br />
<br />
百夜かよふて<br />
<br />
添ならばサアサ嬉しい<br />
<br />
事じやないかいなサアサ<br />
<br />
こがるゝはづじやないかいな<br />
<br />
《現代語訳》<br />
<br />
小町を想うと晴れた日も曇ったように感じる四位の少将が涙し、苦しんだ九十九夜のときのことでございます。逢瀬には及びませんでした。それはそうじゃなくて御所車に御簾をかけて私は卒塔婆に腰かけていた婆さんじゃ。<br />
<br />
小町姫は好色の深草少将が遂に約束を果たしても思い悩む、私約という字に別世界での敷居の高い門の扉をゆめかあられかはらはらと私の安気はあなたの技やがて百夜が叶ってそうなれば嬉しいことじゃないか。焦がれるはずじゃないか。<br />
<br />
=== '''〈題材〉''' ===<br />
<br />
[[「六歌仙容彩」]]<br />
<br />
=== '''〈概要〉''' ===<br />
<br />
五変化所作事で、次の五曲から成る。<br />
<br />
僧正遍照(ワキ小町)大薩摩、のち義太夫<br />
<br />
文屋康秀(ワキ官女四人)清元<br />
<br />
在原業平(ワキ小町)長唄<br />
<br />
喜撰法師(ワキ茶汲)清元・長唄掛合<br />
<br />
大伴黒主(ワキ小町)大薩摩<br />
<br />
平安時代の著名な六人の歌人を登場させ、絶世の美女の小野小町に残り五人が思いを寄せ、すべて失恋するという洒落た感覚の舞踊にしている。<br />
<br />
「'''遍照'''」は、舞台が御殿。義太夫舞踊で、緋の衣に身を包んだ高僧遍照が小町のもとへ通うが、小町はすげなく扱う。高僧の老いらくの恋という趣向がみどころである。<br />
<br />
「'''文屋'''」は、御殿の廊下。地は清元。下級公卿の文屋康秀が小町のもとへ忍ぼうと下手から駈け出してくると、上手から大勢の官女が出て来てとどめる。文屋は官女とからみながら「恋づくし」を始め、色の手ほどき、遊びの楽しさ、こわさなどをエロチックにかつ洒脱に踊る。<br />
<br />
「'''業平'''」は、御殿の一室。御簾があがると十二単衣姿の小町と公卿姿の業平が立っている。業平は日本を代表する色男で、品良く小町に言い寄ったものの小町は拒絶するという小品。地は長唄。<br />
<br />
「'''喜撰'''」は、がらりと変わって桜が満開の祇園境内。長唄と清元の掛合い。喜撰法師が僧の姿で桜の枝をかついで花道へ現われ、境内の茶汲み女お梶にたわむれかかる。お梶は小町の分身だ。喜撰の軽妙な踊りがみどころで最後はお梶に逃げられる。そこへ大勢の弟子が現われ、住吉踊りを賑やかに踊る。<br />
<br />
「'''黒主'''」は、御所の裏庭。黒主は黒の衣冠束帯、小町は十二単衣の肌ぬぎ、恋のかなわぬ意趣から黒主が謀叛人の本性を現わす歌舞伎美がみどころ。全曲現存の唯一の変化舞踊。 〈出典:『歌舞伎鑑賞辞典』 平成5,9,15 東京堂出版〉<br />
<br />
<br />
=== '''〈登場人物〉''' ===<br />
<br />
'''小野小町'''<br />
<br />
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁の孫、美材、好古らの従妹とされる。系図については諸説あるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによるという説をはじめ諸説がある。王朝女流歌人の先駆者で、文屋康秀、凡河内躬恒、在原業平、安倍清行、小野貞樹、僧正遍照らと歌の贈答をした。 〈出典:『増補日本架空伝承人名事典』 2000,8,25 平凡社〉<br />
<br />
'''在原業平'''<br />
<br />
825-880 平安朝時代の歌人。六歌仙また三十六歌仙の一人。平城天皇皇子阿保親王の第五子、母は桓武天皇の皇女伊登内親王天長年間、兄行平と共に在原性を賜った。天慶四年五月二十八日五十六で歿。世に在五中将又は在中将といふ。 〈出典:『日本人名大事典』 下中邦彦 1937,5,15 平凡社〉<br />
<br />
<br />
=== '''〈配役〉''' ===<br />
<br />
'''沢村田之助(3代目)'''<br />
<br />
歌舞伎役者 弘化2年2月8日(1845)~明治11年7月7日(1878) 享年34歳<br />
<br />
安政6(1859)年正月中村座「魁道中双六曽我」で3代目沢村田之助を襲名し弥生姫とお柚の2役。明治5(1872)年正月村山座にて一世一代として「国姓爺姿写真鏡」に古今役で出演後引退する。11年春狂死した。世話物に適し、口跡・台詞・口上に音声が良く、立役も兼ねたが、女方を本領とし、将来を期待される役者だった。<br />
<br />
'''沢村 訥升(2代目)'''<br />
<br />
歌舞伎役者 天保9年(1838)~明治19年2月2日(1886) 享年49歳<br />
<br />
5代目沢村宗十郎(のち3代目助高屋高助)の長男。弟に3代目沢村田之助がいる。初め2代目沢村源平と名乗る。安政元(1854)年2代目訥升と改め正月中村座「松扇杏鶴亀曽我」に立役として勤める。明治12年東京にもどって4代目助高屋高助を襲名。19年正月名古屋千歳座で興行中に胃病となり翌2月死去。父の芸風を継いで若衆方・立役・女方を兼ね、三都随一の役者と云われた。〈出典:『新訂増補歌舞伎人名事典』2002,6,25 日外アソシエーツ〉<br />
<br />
<br />
→『歌舞伎年表 第七巻』の万延元年を見ると、「六歌仙」は上演されているが上演場所は江戸ではなく大坂であり、配役も黒主(吉三郎)遍照(延三郎)康秀、きせん、小町(彦三郎)となっている。<br />
<br />
安政三年(一八五六)を見ると、「六歌仙添乳口眞似」に所作(由次郎)おかち小町(訥升)という表記が見られる。更に、「訥升病気にて幼少の由次郎(田之助)代る。衣装へ肩揚して出づ。三日目に全快して出勤せんといふ。十二三歳の子供ながら三日は御定法なり。兄でも我儘はさせぬと其日も由次郎がつとむ」と書かれている。<br />
<br />
文久元年(一八六一)を見ると、「六歌仙和略風俗」で業平と奥女中を田之助が演じている。<br />
<br />
これら以外に沢村田之助と沢村訥升が「六歌仙」に関わるものは見られなかった。<br />
<br />
===='''-見立て絵-''' ====<br />
<br />
鬘や化粧、あるいは衣装など、舞台における演技の装いを整えた姿をした役者を描きながらも、実際に当時の上演資料で調べると、その役者のそうした役柄が見当たらない作品もすくなくない。そうした作品の多くは、この役者にこうした役を演じさせてみたいという、歌舞伎愛好者の願望から生まれた架空の芝居絵で、見立絵と呼ばれていた。江戸末期の三代豊国(国貞)らの作品によく見られる、個々の役者それぞれにふさわしいと思われる役柄の扮装をさせて、シリーズを構成したものなどがある。 〈出典:『浮世絵の鑑賞基礎知識』 小林忠・大久保純一 2000,7,20 至文堂〉<br />
<br />
<br />
=== '''〈七小町について〉''' ===<br />
<br />
七小町は、小野小町伝説に文学的形象を与えた謡曲によって、形作られたものである。謡曲『通小町』、『卒塔婆小町』は観阿弥が関わったより古いものと思われ、世阿弥作とされる『[[関寺小町]]』、その後の作である『[[鸚鵡小町]]』、『[[草子洗小町]]]』の五曲に、『[[雨乞小町]]』、『[[清水小町]]』を加えて七小町とする。七小町は浮世絵の画題として揃物に組まれ、非常に多く存在している。<br />
<br />
三代目歌川豊国画の見立役者絵の揃物『見立七小町』は、安政五年(一八五八)七月改印のものが三枚、安政五年八月が四枚で、揃物として売り出された全七枚である。<br />
<br />
(出典:『図説「見立」と「やつし」-日本文化の表現技法』国文学研究資料館 2008,3,20 八木書店<br />
<br />
===='''-通小町と卒塔婆小町-''' ====<br />
<br />
・'''[[通小町]]'''<br />
<br />
八瀬の山里で一夏を送る僧の所へ、毎日木の実や小枝を持参する女は、木の実の名を尋ねられて、「木の実づくし」の謡い物で答え、名を問われると、市原野に住む姥、と言って姿を消す。市原野で供養する僧の前に、小野の小町の霊が出て、戒を授けたまえと願う。そこへ深草の四位の少将が姿をあらわし、小町の袂を取って引き止め、戒を受けさせまいとする。僧は二人に滅罪のために懺悔せよと勧め、二人は生前の所行「百夜通い」の有様を見せ、ともどもに成仏する。<br />
<br />
〈出典:『謡曲集②』(新編日本文学古典全集)小山弘志・佐藤健一郎 1998,2,10 小学館〉<br />
<br />
・'''[[卒塔婆小町]]'''<br />
[[画像:201-3299.jpg|thumb]]<br />
乞食の老女と高野山の僧との宗教問答(卒塔婆問答)があり、老女の応答は当意即妙で相手を揶揄して論破する。この老女は小野の小町のなれの果てであった。突然、小町に深草の少将の霊が憑いて、彼女は狂乱状態になるが、やがて狂気を脱し静かに後世を願う。このように統一された主題を持つとはいえないが、あえて言えば、基底にある「小町の憍慢」が主題か。なお、前半には、既成の教義に固執する僧への批判がある。<br />
<br />
〈出典:『謡曲集②』(新編日本文学古典全集)小山弘志・佐藤健一郎 1998,2,10 小学館〉<br />
<br />
《卒塔婆小町》の後半は、小町への憑き物という方法を介して、深草の四位の少将の百夜通いの物真似となる。<br />
<br />
成立の経過といい、曲名と主題の関係といい、これが百夜通いを芸能化した最初と思われる。<br />
<br />
〈出典:『謡曲集(中)』(新編日本古典集成)伊藤正義 昭和61,3,5 新潮社〉<br />
<br />
===='''-百夜通い-''' ====<br />
[[画像:201-3339.jpg|thumb]]<br />
・'''深草少将'''<br />
<br />
伝説上の人物。小野小町のもとに九十九夜通ったが、もう一夜というところで果たせなかった悲恋の人。僧正遍昭ないし大納言義平の子義宣かといわれるが不詳。四位の少将。<br />
<br />
*謡曲・通小町〔1384頃〕「引かるる袖も、控ふるわが袂も、ともに涙の露、深草の少将」<br />
<br />
〈出典:『日本国語大辞典』http://www.jkn21.com/stdsearch/displaymain〉<br />
<br />
<br />
「百夜通ひ」は、『奥義抄』下、『袖中抄』十八、『歌林良材集』下、『古今和歌集頓阿序注』などにみられる。<br />
<br />
「暁の榻のはしがき百夜かき君が来ぬ夜はわれぞ数かく」(奥義抄下)に基づく。参考「むかしあやにくなる女をよばふをとこありけり。志あるよしをいひければ、女心みむとて、きつゝ物いひけるところにしぢをたてゝ、これがうへにしきりて百夜ふしたらむ時、いはむことはきかむといひければ、をとこ雨風をしのぎてくるればきつゝふせりけり。しぢのはしにぬる夜の数をかきけるをみれば、九十九夜に成りけり。あすよりは何事もえいなびたまはじなどいひかへりけるに、親の俄にうせにければその夜えいかず成りけるに、女のよみてやれりける歌也」<br />
<br />
〈出典:『謡曲集②』(新編日本文学古典全集)小山弘志・佐藤健一郎 1998,2,10 小学館〉<br />
<br />
→百夜通いが有名になったのには、「通小町」や「卒塔婆小町」が関係しているかもしれない。<br />
<br />
<br />
===='''-通小町と業平の関係性-''' ====<br />
<br />
「市原野辺に住む姥」と名乗ってツレの女が姿を消したあと、ワキの僧は、それが小野の小町の亡霊であることを悟るのだが、それには次のようないわれがある。<br />
<br />
在原業平があるとき旅先の宿で、「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」とつぶやく歌の上の句をききつけ、ふしぎに思ってその翌朝あたりの小野をさがす中、小野の小町の髑髏を見つけ、心をうたれて、「小野とはいはじすすき生いけり」と下の句をよんだという昔話がある。<br />
<br />
「おのとはいはじすすき生ひたる市原野辺に住む姥」という名のりが、右の説話をふまえていることから、ワキは女の正体を知ったのである。そんなわけでこの引歌はそうしたいきさつが分らないと意味がとおりにくい。<br />
<br />
〈出典:『謡曲百選(上)』里井陸郎 昭和54,5,10 笠間書院〉<br />
<br />
<br />
==='''〈構図の意味〉''' ===<br />
<br />
今回担当した「恋合端唄尽し」の小町・業平の構図は、業平が小町を背負うというものになっている。こうした構図は、他には『伊勢物語』の中の第6段の「芥川」の場面として描かれている。<br />
<br />
『伊勢物語』を題材として作られたといわれる謡曲がある。それらは、『伊勢物語』のある段をふまえ、あるいは幾つかの段をつなぎ合わせて作られている。その幾つか存在する謡曲の中でも「雲林院」と「杜若」は、今回の浮世絵に関係した謡曲である。<br />
<br />
===='''-[[雲林院]]-''' ====<br />
<br />
伊勢物語の秘伝を視聴覚的に説明しようという能である。前場の花の争いも風情はあるが、主題的には後場に重点がある。二条の后を鬼一口に食った鬼は、実は兄の基経であるという俗解に基づいて、その基経の兄弟愛的執着を、一般の男女愛に近くとりなしているのが特異である。<br />
<br />
(出典:『謡曲集 上』(日本古典文学大系))<br />
<br />
===='''-[[杜若]]-''' ====<br />
<br />
『伊勢物語』七・八・九段の中世古注釈をもとにして、シテを九段の三河の国八橋の杜若とする遊舞能。精物とすることで、本説にとらわれずに自由に脚色しており、『伊勢物語』の秘伝の世界を紹介すると同時に、二条の后、或いは歌舞の菩薩と信仰された業平、更には菩薩の舞さながらとも見えるよう、配慮されている。諸国一見の僧(ワキ)が、三河の国八橋で、不思議な女(シテ)と出会い、その地で「かきつばた」の五文字を句の上に置いた和歌を詠じた業平の物語を聞き、庵へ案内される。女は業平・高子の后の形見の冠・唐衣を着し、自分は杜若の精であると名乗って、『伊勢物語』の根本を語り舞う。<br />
<br />
<br />
[[画像:Z0180-a107.jpg|thumb]]<br />
[[画像:G130042602.jpg|thumb]]<br />
画中文字:「はてもなく延て薄の穂先かな 砧子」(2枚目)<br />
<br />
→絵の構図は『伊勢物語』の第六弾「芥川」の場面と同じ業平が女性を背負っているという構図である。しかし担当した浮世絵の女性は小野小町であり、『伊勢物語』の「芥川」の女性は二条の后の高子である。<br />
<br />
=== '''〈まとめ〉''' ===<br />
<br />
小町と業平が同時に出演する歌舞伎には、『六歌仙容彩』などの「六歌仙」に関連する題材のものしか今回見つけることが出来なかった。しかし、上記で指摘したように、『六歌仙容彩』の小町と業平の段の内容と『恋合端唄尽し』の小町・業平に書かれている内容は異なっている。今回扱った浮世絵に描かれている内容は『通小町』もしくは『卒塔婆小町』の中に出てくる「百夜通い」の内容であろう。「百夜通い」では、業平ではなく深草少将と表記されているのだが、深草少将は六歌仙の内の一人である遍照などと言われているが、未詳であるので、豊国は、深草少将を業平に見立てたのではないだろうか。また、沢村田之助と沢村訥升が小町と業平を演じたという記録は残っておらず、実際に『六歌仙容彩』は上演されているが役者は違っており、この役者にこの役を演じて欲しいという願望から生じた見立て絵であろうと推測される。また、絵の構図は『伊勢物語』の第六段「芥川」の構図と同じであるが、業平が背負っている人物が小町と高子で違っている。これは、「芥川」で叶わなかった業平と高子の恋と「通小町」や「卒塔婆小町」で叶わなかった小町と深草少将の恋を関連付けて描かれたものではないだろうか。<br />
<br />
以上のことから、この『恋合端唄尽し』の小町・業平は役者と登場人物の二段階の見立て絵であり、絵の構図には『伊勢物語』の要素も含んでいると推測される。<br />
<br />
<br />
■'''参考文献'''<br />
<br />
『日本人名大事典』 下中邦彦 1937,5,15 平凡社<br />
<br />
『歌舞伎名作事典』 昭和34,9,15 青蛙房<br />
<br />
『謡曲集 上』(日本古典文学大系)横道萬里雄・表章 昭和35,12,5 岩波書店<br />
<br />
『歌舞伎年表 第七巻』伊原敏郎 昭和37,3,31 岩波書店<br />
<br />
『謡曲百選(上)』里井陸郎 昭和54,5,10 笠間書院<br />
<br />
『原色浮世絵大百科事典』 昭和56,11,30 大修館書店<br />
<br />
『謡曲集(中)』(新編に本古典集成)伊藤正義 昭和61,3,5 新潮社<br />
<br />
『歌舞伎鑑賞辞典』 平成5,9,15 東京堂出版<br />
<br />
『謡曲集②』(新編日本文学古典全集)小山弘志・佐藤健一郎 1998,2,10 小学館<br />
<br />
『浮世絵の鑑賞基礎知識』 小林忠・大久保純一 2000,7,20 至文堂<br />
<br />
『増補日本架空伝承人名事典』 2000,8,25 平凡社<br />
<br />
『新訂増補歌舞伎人名事典』2002,6,25 日外アソシエーツ<br />
<br />
『図説「見立」と「やつし」-日本文化の表現技法』国文学研究資料館 2008,3,20 八木書店<br />
<br />
『浮世絵大事典』 2008,6,30 東京堂出版<br />
<br />
■'''参考HP'''<br />
<br />
ARC浮世絵検索システム http://www.dh-jac.net/db/nishikie/theater/search.htm<br />
<br />
『日本国語大辞典』 http://www.jkn21.com/stdsearch/displaymain<br />
<br />
<br />
===='''-追加-''' ====<br />
<br />
=== '''[[〈関連作品〉]]''' ===<br />
<br />
</div>
imported>WikiSysop