恵比須

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えびす


画題

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解説

画題辞典

恵比須に七福神の一なり、又大黒天と配祀して恵比須大黒とも称せられ。人の崇敬を受く、其の像は烏帽子狩衣に、左に鯛を抱え右に釣竿を持し、目なしの籠を傍に置きて岩に腰を下ろせるを普通となす。是れ事代主尊なりともいい又蛭子尊なりともいう。世に夷子三郎というは蛭子尊の日神月神に次ぎて第三に生れたればなりという。生れながらにして、尫蒻不具にして、三歳になるまで脚の立ち給わざるより、早く世を避け、栄枯得失につきて一切煩なしとぞ故に清廉の表徴となすという。江戸時代、商家にては、十月二十日に此像を祀りて夷子講を営むを例とす。随って此像の画に顕わされたるもの特に多し。

狩野探幽筆夷子大黒図(佐竹侯爵旧蔵)、同(池田侯爵旧蔵)、緒方光琳筆夷子大黒図(高橋男爵旧蔵)、同(三井男爵所蔵)

等を初め、単に夷子を図せるもの、夷子大黒を図せるもの共にその作例極めて多し。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

七福神の一で、夷子、或は蛭子、又夷三郎に作る、常に大黒天と配祀せられ、人の崇敬を受けてゐる、其の像はよく肥えて笑をたゝへ、狩衣指貫を着て、風折烏帽子を冠り、右手に釣竿を持ち、左手にを抱へ岩に腰をかけてゐる、摂津国武庫郡西宮の蛭子の神の称といひ、又、事代主命ともいふ、その『ゑびす』の称は笑から来てゐるともいはれてゐる、江戸時代商家では、毎年十月二十日を夷子講と称へ或は一家団欒し、或は取引先や知己を招待して宴を張り商売の繁栄を祝ふ行事があり、其の際は此の画像を懸けるのが例である。蛭子説に就ては『太平記』廿五に次の一節がある。

蛭子と申すは今の西宮の大明神にまします、生れたまひし後三年まで御足立たずして、かたはにおはせしかば、磐楠船に乗せて海に放ち奉る。

恵比須を画いた作

狩野探幽筆  『夷子大黒図』  佐竹侯爵家旧蔵

狩野元信筆           神戸田村家旧蔵

尾形光琳筆  『夷子大黒図』  高橋是清氏旧蔵

同      同        三井男爵家蔵

酒井抱一筆  『鯛釣夷子』   蓬莱庵旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)