来目部小楯

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くめべの おたて


画題

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解説

前賢故実

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清寧天皇朝の播磨司を勤めていた。赤石郡縮見屯倉首のある家で行われた宴会では、蝋燭を持つ、恭しくて謙遜な二人がいた。君子の風貌のある二人を見た小楯は、不思議に思い、試しに二人に歌を詠んでもらってみると、二人は億計王と弘計王だとわかった。小楯はすぐに立上り、二人に向かって正式に稽首の礼をして、「皇胤がここにいることを知らず、礼儀を失した態度を取ってしまい、死罪に値する。」と申しあげた。早速二人のために郡の民を使って宮殿を造営した。報告が朝廷に伝えられ、清寧天皇は「朕は皇子のないことを憂慮していたが、天の眷顧を賜り、今二人の子供を得た。」と大変喜んで、二王を迎えるために、割符を持たせた小楯と、側近の舎人を播磨へ遣わした。二王は、即ち市辺押し磐皇子の息子、後の仁賢天皇(億計王)と顕宗天皇(弘計王)である。顕宗天皇が即位すると、小楯の功績を称えて、小楯を山官に任じ、山部連という姓を下賜した。

(『前賢故実』)