鼎踊

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かなえおどり


画題

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解説

画題辞典

鼎踊は徒然草の一段にて、仁和寺の法師が、小宴の興に鼎被りて踊りたること記せるを絵にせるものなり。徒然草記する所左の如し。「是も仁和寺の法師、わらはの法師にならんとする名殘とて各遊ぶ事ありけるに、醉ひて興に入る余り、傍らなる足鼎を取りて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻を押し平めて顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。暫し奏でて後、拔かんとするに、大方ぬかれず。酒宴こと醒めて、如何はせんと惑ひけり。兎角すれば、首の周りかけて血たり、たゞはれにはれみちて、息もつまりければ、打割らんとすれと、容易くわれず、響きて堪へ難かりければ、叶はですべきやうなくて、三足なる角の上に帷子を打掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師のがりゐて行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。医師の許にさし入りて、向ひ居たりけん有樣、さこそことやうなりけめ。物を言ふもくゞもり聲にひゞきて聞えず。かゝる事は文にも見えず、伝へたる教もなしといへば、又仁和寺へ帰りて、親しきもの老いたる母など枕上に寄りゐて泣き悲しめども聞くらんとも覚えず。かゝる程に或者の言ふやう、たとひ耳鼻こそ切れ失すとも命ばかりはなどかいきざらん、唯力をたてゝひき給へとて藁のしべを周りにさし入て、かねを隔てて、首もちぎるばかりひきたるに、耳鼻かけうげながら、ぬけにけり。からき命まうけて、久しく疾みゐたりけり。」

之を描きしもの、前に英一蝶筆(池田侯爵旧蔵)、浮田一蕙の筆あり、後に、大正博覧会に前田青邨の作あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

吉田兼好が『徒然草』の第五十四段、『これも仁和寺の法師』の一段を絵にしたもの、法師が座興に鼎をかぶつて踊つたが、これが抜けなくなつて周章て惑ふ場面である。曰く

これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、各々遊ぶことありけるに、酔ひて興に入る余り、かたはらなる足鼎を取りて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし、しばし奏でゝ後、抜かんとするに大方抜かれず、酒宴ことさめて、いかゞはせんとまどひけり、とかくすれば、頸のまはり欠けて、血垂りただはれにはれみちて、息もつまりければ、打破らんとすれど、たやすく破れず響きて耐へ難かりければ、かなはで、すべきやうもなくて、三足なる角の上に、帷子を打掛けて、手をひき杖をつかせて京なる医師のがり、ゐて行きけるに道すがら人の怪しみて見ること限りなし、医師の許にさしいりて向ひゐたりけん有様、さこそ異様なりけめ、ものを言ふもくぐもり声に響きて聞えず、『かゝることは書にも見えず、伝へたる教もなし』と言ヘばまた仁和寺へ帰りて親しき者、老いたる母など枕頭によりゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず、かかるほどに或者の言ふやうたとひ耳鼻こそ切れうすとも、命ばかりはなどか生きざらん、たゞ力を立てて引たまへ』とて稿のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てゝ、首もちぎるばかりに引きたるに、耳鼻は欠けうげながら抜けにけり、からき命まうけて、ひさしてやみゐたりけり。

これを画いたもの、因州池田侯爵家旧蔵に、英一蝶筆『被鼎図』があり、前田青邨またこれを画いて大正博覧会に出品した。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)