長安

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ちょうあん


画題

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解説

画題辞典

長安は今の支那陝西省西安府の地なり、黄河の支流、渭水の南にして関中平野に位す、周武王が西都となしたる鎬京の地即ち是れにして、西漢、隋及唐何れも此地に都す、実に進んで天下を取るべく退いて諸侯を制すべき要地にして往時の支那文明の中心たりしなり、太平御覧にいう「宮闕記云、長安市有九所、各方二百六十六歩、六市在道西、三市在道東、四里為市、凡九市致九州之人、在突門夾横橋大道南市楼皆重層」

京都帝室博物館所蔵青木木米所蔵「長安市上」あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那陜西省にある、今、西安といふ、渭水の南で周の武王ここに都して鎬京と呼び周室東遷の後秦に入り、後更に楚の項羽ここに雍、塞の二国を分置し、漢一統後ここに都し、唐の時代またここを都として栄えた、附近に名勝多く阿房宮址をはじめ、白鹿原、子午谷、坑儒谷、潜門坂、大雁塔寺などがあり、総て芸術と深い交渉をもつ所である。その盛なりし事は、駱賓王の『帝京篇』にても知られ儲光羲が『長安道』の詩によつても推せられる。

     長安道     儲光羲

鳴鞭過酒肆、袨服遊倡門、百万一時尽、含情無片言。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)