蔦細道

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つたのほそみち


画題

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解説

画題辞典

駿河国宇都山に於て、在原業平が関東下向の折に感興せし遺跡なり、伊勢物語に曰く、「駿河国に至りぬ、宇都山にいたれば、蔦楓は立茂りて路いと細う暗きに修業者に会ひたり、かゝる路をばいかでかおはすといいければ見し人なりけり、都のその人の許にもとて文かきてつく、するがなるうつの山辺のうつゝにも夢にも人にあはぬなりけリ」、之を画くもの、

俵屋宗達筆(津軽伯爵旧蔵)、狩野洞春筆(大倉男爵所蔵)、酒井抱一筆(神田男爵所蔵)、現代各家の筆亦少なからず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

駿河国宇津の山にある、『伊勢物語』の業平東下りの文で名高い、曰く

ゆき/\て駿河の国にいたりぬ、うつの山にいたりて、我いらんとする道はいとくらうほそきに、つたかへではしげり、心ぼそくすずろなるを見る如く思ふに、す行者あひたり、かかる道はいかでかいまするといふを見れば、みし人なりけり、京に其人の御もとにとて文かきてつく

するかなるうつの山辺のうつゝにも夢にも人にあはぬなりけり

『東海道名所図会』に曰く

夫れ宇津山蔦細道は勢語に出で、いにしへより其名高く、古詠多し、上方よりここに至るには岡部の駅より海道を一里許行て湯谷口坂の下といふ所あり、ここの鼻取地蔵堂の向ふなる熊野権現のやしろの側より右の方へ入るなり、これより道細くいさゝめなる渓川あり、此流を右に添左につれて矼の橋五つ六つをわたる、坂路にかゝれば、いよ/\道細く山深ふして幽寂たり、茅すゝき荻篠竹生茂りて藤蔓蘿かづら足にまとひ薔薇荊棘袂を閉ぢて歩しがたく二人の手引の者、鎌をもて叢を薙刈て次第に登るに路峨しく杖をちからに行に少したいらなる所あり、ここを神社平といふ、むかし社ありし古跡なりと教ゆ、按ずるに駿河風土記に、宇津谷本原神社は仁徳天皇紀七年乙卯所祭也云々、若此神社の古跡ならんか、古歌に

現存六帖 音に開くうつの社の現にも夢にも見へぬ人の恋しき  前大納言為家

其上の方に猫石といふあり、古松六七株の陰に猫の臥したる形に似たる巨巌有り、それよリ又登るに漸く頂嶺とおぼしき所に出たり山郭依々として伐木の音さへかすかにだも聞えず、実は陶潜が桃花源に至るの俤あり、これより東へ降る阪路いよ/\巉し、且真砂地にして踏上がたく、すべりなやみて静に下る、少しき道ある所へ出れば又渓川あり、こゝにも矼の橋あり、路も鮮かにて段々下るに、遂に宇津谷嶺の東なる十団子の名物の茶店の傍、たいら橋といふ圯橋の東爪に出たり、是本海道なり、初の湯谷口より此所まで道法一里に足らずといへり、これを蔦細道といふ。

蔦細道を描いた作主なるもの左の通り

俵屋宗達筆 (重要美術)  津軽伯爵家蔵

狩野洞春筆         大倉男爵家蔵

酒井抱一筆         神田男爵家蔵

洞田天崖筆         第十一回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)