絵本太功記

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えほんたいこうき


総合


歌舞伎

浄瑠璃、十三段、時代物。近松柳・近松湖水軒等合作。寛政十一年(1799)大阪若太夫座。 読本の「絵本太閤記」によったもので光秀の謀叛から滅亡までの十三日間を、十三段に分けて嘗いているが、その十日目の事件、すなわち十段目の「尼ケ崎閑居」だけが今日上演される。俗称「太十」。 尼ケ崎の閑居で光秀の母皐月は、嫁操と共に、謀叛人を子に持ち夫に持つ身の因果を歎いている。伜十次郎は、許婚の初菊と祝言の盃を交し、初陣の門出をする。これより先、ここへ一夜の宿を求めた旅僧こそ久吉と、後をつけて来た光秀は、夕顔棚より現われ襖越しに竹槍で突いたが、意外にもそこには母の皐月がいた。続いて十次郎が傷を負って帰り、味方の敗北を知らせて死ぬ。そこへ久吉が現われ、光秀と戦場での再会を約して別れる。 母と子の死に、剛毅な光秀が大泣きに泣くところが見どころ。近年では先代市川中車の光秀が傑作だった。