経正竹生島詣

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つねまさちくぶしまもうで


画題

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解説

東洋画題綜覧

但馬守平経正は詩歌管絃の道に秀でてゐた、平維盛源氏征討の副将となり、北国へ下向の途次、琵琶湖を渡り、竹生島に詣で一夜参籠し居待の月を仰いで琵琶を弾じた処、竹生島明神感応在しけん、白竜となつて現じたこと『平家物語』第七にあり、古来大和絵の好画題となつてゐる。

大将軍維盛、通盛は進給へ共、副将軍経正忠度知度清房なんどは、未だ近江の国塩津、貝津に引へたり、其中にも経正は、詩歌管絃に長じ給へる人なれば、かゝる乱の中にも心を澄し湖の端に打出でて、逢に澳なる島を見渡し伴に被具たる藤兵衛有教を召て、『あれを何くと云ぞ』と被問ければ、『あれこそ聞え候ふ竹生島にて候へ』と申、『げにさる事あり、いざや参らん』とて、藤兵衛有教、安衛門守教以下、侍五六人召具して、小船に乗り竹生島へぞ被渡ける、比は卯月中の八日の事なれば、緑に見ゆる梢には、春の情を残すと覚え、澗谷の鴬舌の声老て初音床しき郭公、折知顔に告渡る、誠に面白かりければ急ぎ船より下り、岸に上り、此島の景色を見給ふに、心も詞も及れず、彼秦皇、漢武、或は童男丱女を遣し、或は方士をして不死の薬を尋給しに、蓬莱を不見ばいなや不帰と云て、徒に船の中にて老い、天水茫々として求る事を不得けん、蓬莱洞の有様も角や在けんとぞ見えし、或経の文に云く『閻浮提の内に湖有り、其中に金輪際より生出たる水精輪の山有り天女住処』と云り、即此島のこと也、経正明神の御前につい居給つ、『夫れ大弁功徳天は往古の如来法身の大士なり、弁才妙音二天の名は、各別なりとは云へ共、本地一体にして衆生を済度し給ふ』一度参詣の輩は所願成就円満すと承はる、憑敷うこそ候へ』とて、法施参せ給に漸々日暮れ、居待の月指出て海上も照渡り社壇も弥輝きて、誠に面白かりければ、常住の僧共『聞ゆる御事なり』とて、御琵琶を参らせたりければ、経正是を弾給ふに、上原石上の秘曲には宮の中も澄渡り、明神感応に不堪して、経正の袖の上に白竜現じて見え給へり、忝なく嬉しさの余りに、なく/\かうぞ思続け給ふ

ちはやぶる神に祈のかなへばやしるくも色の顕れにけり

されば怨敵を目の前に平らげ、唯今責落さん事も、疑なしと悦で、又船に取乗て竹生島をぞ被出ける。  (平家物語第七)

此の『経正竹生島詣』を画いた作左の如し

小堀鞆音筆  日本絵画協会出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)