石上麻呂

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いそのかみの まろ


画題

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解説

前賢故実

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元の姓は物部。大連目の子孫。衛部宇麻呂の息子。壬申の乱のとき、大友皇子(弘文天皇)が敗走、大臣以下のみんなが散り散りになった。麻呂は大友皇子が自殺までつき従った。天武天皇が即位した後、麻呂の忠節を讃えて、大乙上を授けた。持統天皇のとき、直廣壹に昇進した。文武天皇のとき、筑紫総領を勤めていたが、しばらくして中納言になった。大宝二年、正三位大納言に昇進し、太宰帥を兼任していた。太宰帥という官職は、麻呂が最初に勤めた人である。和銅元年、右大臣と正二位左大臣を歴任した。養老元年に薨去。元正天皇は、朝政を中断して、麻呂の家に弔慰金を贈り、従一位の位を追贈した。麻呂の死を痛惜しない百姓はいなかった。

(『前賢故実』)