玄宗

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げんそう


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那唐第六代の帝、名は隆基、睿宗の第三子、韋皇后が中宗を弑した時、兵を起してこれを誅し功を以て平王となり、更に太子となる、即位してから宗璟、姚崇、張説等を用ひて国政を助けしめ所謂開元の治をなした、併し晩年は意漸く倦み、奢侈を極め、奸相李林甫を用ひ、楊貴妃を寵愛して唐の紀綱再び乱れ、為めに天宝十四年には安禄山の乱が起り、一人勤王の志あつて起つ者もなく、帝は蜀に走るの止むなきに至つた、次で太子は霊武に即位し玄宗を尊んで太上皇帝とした、乱後長安に還り宝応元年歿、在位四十五年に及んだ。明皇とも呼ぶ。

その楊貴妃との情事は、有名なる『長恨歌』となり、更に幾多の画題を造つてゐる。主なもの左の通りである。  (楊貴妃参照)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)